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 春の光が窓から差し込み、合宿施設の舎内も春の陽気に包まれていた。柔らかい日差しを浴びながら宿舎の中を歩いていると、葉緑体もないのに光合成をしている心地がした。あったかいなあ、という自分のつぶやきがぽつりと落ちた。辺りに誰も見当たらなかったが、代わりに遠くの方から微かにボールの跳ねる音がする。狼凰杯まで残り数日。ヒーローのみんなはチームに別れて練習に励んでいるようだ。俺といえば「息抜きも必要」と自分に言い聞かせて、ずっと座りっぱなしだった自席からそそくさと腰を上げたところだった。こんな激務が舞い込んでくる予定はなかったが、ちょっとしたミスが原因で気づいたら気の遠くなるような作業量の仕事がこちらへ回ってきたのだった。狼凰杯まで後数日ということもあり、一刻も早くこの仕事は片付けなければいけないし、できればそうしたいとは思っている。あくまでこの休息は効率のためなのだ。あくまでも。
 廊下をそのまま進み、なんとなく目についた食堂の扉をあける。今日は寮母さんも早上がりの為か、部屋の中はしんと静まり返っていた。近くにあった椅子に座り、そのまま机に伏せてしまう。春の陽気のせいなのか、疲労で脳の処理速度が落ちているせいなのか、頭がいつもよりもふわふわと軽く、正常な判断ができそうにもない。部屋で寝た方がよかったかもしれないなと思い直す。ただ動く気にもなれなかったので、身体を起こしてそのまま背もたれに預けた。
「春だなあ」
 そうしてまた一言呟いたとき、ガチャと扉の開く音がする。まずい、と思わず立ち上がって振り返れば、そこに立っているのは練習着を着た佐海くんだった。
「あれ、指揮官さん?」
 休憩ですか? とにこやかに声をかける姿に安堵して、へなへなとまた椅子に腰を落ち着ける。大丈夫ですか!? とこちらへかけてきて覗き込む顔が、思った以上に焦りが含んでいて、悪いな、という気持ちになった。来たのが研究員じゃなくてよかったと思った瞬間に力が抜けたことは、恥ずかしいので黙っておくことにする。
「うん、大丈夫……ちょっとびっくりして、」
「いえ、こちらこそすみません……! 俺、まさか指揮官さんがいると思わなくて」
「そりゃあ当然だよ、執務室にいるべきだし……」
 ははは、と乾いた笑いが思わず出てしまう。ちら、と佐海くんの方を向けば、また忙しそうですね、と困ったように笑っていた。
「佐海くんは、またマネージャー業務かい」
「そんな感じです。ていうか、浅桐さんまたどっか行っちゃって」
「はは、まあ、いつもどおりか」
「そうですね、不本意ですけど」
 佐海くんはそういいながらくすくすと笑っていた。その所作に何か既視感のようなものを覚えたが、働かない頭では答えを導き出すことも不可能で、ただ漠然と「かわいいな」という言葉が浮かんでは消えた。佐海くんには以前、選手兼マネージャーだねなんて軽い気持ちで言っていたが、どうやら彼は順調にその役目をこなしているようだった。彼はキッチンでくるくると動き回り、昼食の支度を着々と進めていく。ふと時計を見上げれば、長い針と短い針が十二の文字で重なるところだった。ふと立ち上がり、キッチンのそばまで寄ろうとしたところ佐海くんがこちらを向いて、今日は大丈夫ですから座っててください、と言った。俺はそのままゆっくりとした動きで着席し、佐海くんの働く姿を眺めることにする。
「一人で大変じゃない?」
「俺は平気です! 指揮官さん、なんだかお疲れみたいだし……あ!」
 佐海くんはそうして声を上げたかと思えば、冷蔵庫から数個容器を取り出して、パタパタとこちらへと持ってくる。ぱちりと瞬きを数回繰り返せば、佐海くんはにっこりと笑って、指揮官さんに差し入れです! と言った。
「えっ、でも、みんなの分は」
「別に用意してありますよ。俺、この前手伝ってもらったし」
「いや、あんなの大したことじゃ」
「……指揮官さん」
 俺が作りたくて作ったんです。そういって佐海くんは目を細めて笑った。
 風も吹いていないのにふわりとした柔らかい心地が肌を撫でた気がして、ああそうかと思い至る。既視感はこれだったのだ。さっきまで浴びていた陽の光のような、そういうもの。
「佐海くんは春みたいだな」
 そうすると佐海くんが頭にたくさんの疑問符を浮かべているので、思わずくすくすと笑って、なんでもないよ、と言った。

4月 18, 2020

 ソファで寝ていたところを、俺の顔を覗くようにして、佐海くんにじっと見つめられていた。目をあければ佐海くんの顔があってびっくりしたものだ。起こしちゃいましたか、と佐海くんは言った。別に佐海くんに起こされて起きたわけではなかったので、いいや、と返す。しかしどうしたことか、まるで逃さないとでも言うように俺の上から動こうとしない佐海くんに、俺は不思議に思った。
「佐海くん、どうしたの」
 そうやって尋ねれば、佐海くんは何やらなにかいいたそうにして、口を開いたり閉じたりしている。視線を逸らされたので、いいあぐねていることは理解できた。急かす理由もないのでそのままにしてみる。数秒ほどそれを繰り返し、ようやく視線を合わせて、おずおずと口を開き、音を発していく。
「指揮官さんは、俺とその、そういうことしたいって思わないんですか」
 ぽかん、としてしまったが、現実に引き戻されて、彼に言う。
「そういうことって?」
「そりゃあ、その、そういう、……え、エロいこととか」
「エロいこと」
 自分で反芻した五文字をゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。なるほど、エロいこと。
 俺たちは事実として好き合っている。これは恋とかそういう類のものであったが、キスや抱きしめるという行為をしたとしても、不思議なことにあまり「エロい」とかそういったことを考えようと思わなかった。断じて彼に魅力がないわけではない。しかし、現状でその意識が生まれなかったのも事実だった。
「あんまり考えたことなかったな」
 そう素直に言えば、明らかにわかるように落ち込んでしまった。フォローするように彼に言う。
「別に、佐海くんに魅力がないわけじゃないよ」
「でも、そういうことしたいわけじゃないんですよね」
「うーん、考えつかなかっただけ、というか」
「じゃあ、今は、そう思いますか」
 なるほど、そうくるか。
「佐海くんは、俺とエロいことしたいの?」
 そう尋ねると、目に見えてわかるように顔を赤く染めた。今日も相変わらずの百面相を発揮している。佐海くんもそういうことを考えたりするのかと思ったが、事実として彼は思春期の子供なのだから、当然といえば当然かもしれない。
「そ、そりゃあ」
「したいんだ」
「からかってるんですか!?」
「少しだけね」
 子供扱いされたことにむくれているのか、佐海くんは拗ねたような顔をして、俺の視界から姿を消した。隠れていた蛍光灯の灯りが眩しくて、思わず手で視界を遮る。暗い視界の中で、光のような物がちかちかと光っているのをしばらく眺めた。
「指揮官さん」
 今佐海くんがどんな顔をしているのか俺にはさっぱりわからなかったが、声のトーンで随分と落ち込んでいるようなことは伺えた。彼は素直すぎるきらいがある。
「俺のこと、子供扱いしてますよね」
「そりゃあ、俺からみたら佐海くんは子供だよ」
「ずっと、そうなんですか」
「……そうかもしれないね」
 ひゅ、と息を飲む音がした、気がした。
 身体を起こすと、佐海くんは不安そうな顔でこちらを見つめていた。なにも不安に思うことはないのに。
「佐海くん」
「はい」
「俺は別に、佐海くんのことを嫌いなわけじゃないよ」
「……わかってます。ごめんなさい」
「謝ることじゃないって」
 俯いてしまう佐海くんの手を取って、大丈夫だというように優しく握ってやった。珍しくひんやりとした手のひらに、ぼんやりとした熱を帯びた手を重ねれば、触れたところから体温がなじんで、ゆっくりほどけていくようだった。
「ほんとはね、こういうかんたんなことだって、奇跡みたいに思うよ」
「……どういうことですか?」
「そもそも好き合ってるだけでも夢みたいで、今でもかなり満足してるってこと」
 俺の顔をびっくりしたように見て、小さな声で、そうなんですか、と言った。
「そういうこと、俺としたいって思うんだ」
「……幻滅しましたか」
「ううん、全然」
「本当に?」
 佐海くんはそういって顔をあげては、またこちらを見つめている。瞳の奥がふるりと震えた気がした。覆った膜が落ちてしまいそうで、思わず手で拭いそうになる。目元まで指を這わせたときに、泣いてない、です、と、とぎれとぎれに彼は言った。
「本当だよ」
「……俺、指揮官さんのこと、ずっとすきです。だから、」
 だから、俺がちゃんと大人になったら。
 佐海くんはそこで言葉をつまらせてしまった。さっきよりも目をほそめて、こちらを見つめていた。赤くなった頬は温かさを増して、触れた手のひらからじわりと伝わってくる。ゆっくり落とすように、うん、と返す。
「きっとそのときは、やさしくさせてね」
 そのとき彼の瞳から、ついにほたりと落ちてしまった。

3月 07, 2020

 幼馴染の晶(あきら)が死んでから三年が経った。交通事故で、それはもう、呆気なく、死んでしまったらしい。らしいというのは、僕はその話を、知人から伝聞で聞いたからだった。葬儀も、親戚間で慎ましく行われたのだそうだ。その話を聞いた時、あまりに信じられなくて、ふうん、そうなんだ、と、中身のない返事をしてしまったのを、未だに覚えている。
 僕は晶と幼馴染でとても仲がよかったけれど、晶が死んでしまう二年前に、僕は引っ越しをしてしまっていた。高校に上がってすぐのことで、親の転勤が理由だった。連絡するから、といって連絡をし続けたのは、長くて二ヶ月ほどだったように思う。徐々に連絡は途絶えた。僕は引越し先で新しいコミュニティを築き上げていたし、晶も晶で、きっと高校で友人ができたのだろうと思っていた。

 そして僕が、晶が死んだことを知ったのは、大学一年の夏頃のことだった。都内の大学へと進学した僕は、奇跡的に、中学の同級生と再会したのだ。引っ越す前の高校でも、彼は一緒だったため、比較的仲が良い友人の一人だった。
「なあ、お前さあ」
 七月の、暑さが日に日に増してきた日のことだったと思う。彼は本当に、言いづらそうに、口を重々しく開いた。イズミが死んだの、知ってるか。いずみ、といわれて、一瞬誰のことだかわからなかった。ぽかんとしていたら、お前の幼馴染の、ほら、と言われて、そこでようやくわかったのだった。出水、晶。それが晶の名前だった。そして、思った以上にあっさりした返事をした僕に、お前って結構淡白なんだな、そういうところ、と言ってのけたのだった。

「ただいまー」
 静かな部屋に一声かける。靴を脱いで部屋に上がり、荷物をおろしてベッドへと寝転んだ。今日はもう何もしたくない、このまま寝てしまおうか、と思っていたら、ドアが開く音がした。
「帰ってきて早々におやすみなんて、珍しいね」
「疲れたんだよ、今日は」
「だからといって、なんにも食べないのもまずいんじゃない」
「確かに。おにぎり作ってよ」
「できたらそうしてるよ」
そうして、困ったように目の前の男は笑った。
「そういえば、お前が死んでから三年が経ったね」
 まだ成仏しないの? そう尋ねると、ひどいなあ、でも、その通りだ、とまた困ったような笑顔を零した。

 僕の部屋には、幽霊の晶が住み着いていた。
 晶に再会したのは大学一年の春のことだった。春の木漏れ日が差し込んでい て、日向へ行くと、微かに暖かい空気が肌を撫でたのが心地良い、そんな日だった。大学進学にあたって僕は一人暮らしをはじめていて、散策がてらふらふらと近所を歩いていた。そのとき、大きな桜の木が立っている公園を見つけたのだ。キレイだなあと思いながら、ぼう、と立っていた。そのときだった。誰かが僕の名前を呼んだ声が、かすかに聞こえたのは。
「久しぶりだね」
 振り返った僕に、そう投げかけてきたのは、幼馴染の晶の姿だった。僕はびっくりして、どうして、と言ったら、この辺に住むことになったんだ、と彼は言った。なんだか懐かしい気持ちと、嬉しさがこみ上げた僕は、いつも以上に口がまわって仕方がなかった。相手が晶だったというのもあると思う。僕たちはたくさんのことを話した。そうしているうちにあっという間に時間が経っていて、名残惜しい気持ちを押し込めて、さよならをした。
「また会おうよ。この木の下で」
 別れの間際、晶はそういった。いつ暇だとか、そういうことを聞きしそびれてしまったな、と僕は思ったけど、近所で会えるならまあいいか、と、ふわふわとした気持ちで家路を歩いていた。

 そのあと、何度か公園に出向いて、晶が目の前に現れたのは二週間のうち五度くらいだったと思う。晶が幽霊だとわかった今だから思うが、会えた日は周りに人が誰一人としていなかった。晶なりの配慮だったのかもしれない。七月に言われて驚けなかったのは、四月の時点で晶と顔を合わせていて、何より、信じられなさすぎて、あんな反応になってしまったのだ。普通再会したら死んでるなんて思わない。後日晶に会った時、お前死んでるの、と聞いた。そのときはじめて、晶に影がないに気づいたのだった。
「なあ美穂」
「なあに~。あ、これ美味しい」
 今日は四限の後、彼女の美穂と落ち合う約束をしていた。最近忙しくて全然話す機会もなかったので、暇な時間を聞いて会うことになったのだ。てきとうなファストフード店に入り、てきとうに注文して空いてる席についた。そして今、単価百円ほどの期間限定商品を口にして美穂は幸せそうにしている。そんな様子をみて、彼女がえらく単純なように思えた。
「もし、知り合いの幽霊が何年も自分の近くにまとわりついてたらどうする」
「え、何? 怖い話?」
「雑談。怖くない」
「既に前提が怖いじゃん……」
 私怖い話ダメなんだけど、とかなんとかいいながら、甘ったるいパイを口に含んだ。歯を差し込むとドロドロと中のチョコが端から出てきて、ぼとぼとと落ちる。食べるの下手すぎ、といえば、いやこれ難しいんだって、と言ってパッケージについたチョコを舐め取った。
「てかそのユーレイ、怨霊とかじゃないの?」
「生前仲が良かった場合は?」
「えー、そりゃあ、未練とか……」
「未練」
「そうそう。告白できなかったー、とかさあ」
 あ、そう考えるとちょっとロマンチックかもね、いや、でもそれでメンヘラだったら最悪か。そういいながら残りのパイを食べ終えてしまう。僕は買ったポテトに全く手をつけていなかったので、買った状態のまま、完全に冷めきってしまっていた。食べないなら頂戴。そういって手を伸ばす美穂のことなんか正直今どうでもよくて、さっき美穂がいった言葉に頭を支配されていた。

「未練?」
「そうだよ、お前全く成仏しないじゃん」
 なんか未練タラタラだからずっと居座ってんじゃないのかと思って。
 そうやって言えば、成仏させたい? と聞いてくる。そりゃ成仏したほうが良いに決まっている。幽霊などはこの世に居ないほうがいい。
「俺に未練はないよ」
「じゃあなんでこの部屋に居座ってるんだよ」
 段々とイライラして、棘のある言い方になってしまう。すると晶はこちらを向いて、はっきりと言った。
「未練があるのは、そっちなんじゃないの?」
 どきり、とした。そのとおりだった。未練があるのは、晶ではなくて僕で、晶を引き寄せてしまったのはきっと僕なんだろうと思う。そうしてここに縛り付けているのも。僕は晶が好きだった。あのとき過去に連絡が途絶えたのは、晶を忘れられるいいチャンスだと思ったからだった。だけど、結局忘れられなかったし、かといって、その後の連絡のとり方を忘れてしまっていた。酷く緊張していたのだと思う。もう少し早くに、連絡をしておけばよかったと後悔した。だから春に会えて嬉しかったのだ。でもこれじゃあ、意味がないじゃないか。
「早く成仏させてくれよ」
 晶は、笑っていた。

11月 29, 2020

「わーーっ!」
「うわあっ」
寮内の一部屋へと入ろうとした途端、中から突如として放たれた大きな声に驚いて扉の外へうっかり逃げてしまう。すると、し、指揮官さん!? と佐海くんの驚いたような声が中から聞こえてきた。入っても平気か聞くと、歯切れ悪く答える側で、いいじゃん! 指揮官さんにも見てもらいなよ、と倫理くんの声も聞こえてきて、似合ってるから大丈夫、それはそれで問題だろ、とあれやこれやと会話が次々と飛び交った。どうやら中にいるのは一年生らしい。
「本当に入って平気?」
「ああ、えっと、まあ、平気です」
「ごめん、すぐ出るから……わあ」
中に入れば、女制服を身に着けた佐海くんが他の子に囲まれて、どうにも居たたまれないような面持ちでそこに立っていた。
「文化祭で着るの?」
「本当は良くん、着る予定なかったんですけど、一着余って勿体ないからって押し付けられちゃったみたいで……」
「本当は嫌だったんですけど、断りきれなかったんです」
「いいじゃん、ボクだってやったよ? 灰被り」
「全っ然、よくない」
当の佐海くんは本当に嫌みたいで、短い制服のスカートを握りしめていた。何より一人で試着してしまおうと思っていたところ、続々とこの部屋に人が集まってしまい、この有様らしい。実に災難な話である。佐海くんの為にも用事を済ませて部屋を出てあげよう、と思っていると、指揮官サンはどう思う? と尋ねられた。
「え、何が」
「何がって、佐海ちゃんの女装だよ! 似合ってるとか似合ってないとかあるでしょ」
「えっ、ああ……」
「指揮官さん、その、無理しなくていいですから……おい北村!」
「ええー、そこは佐海ちゃん的にも気になるところじゃないの?」
「なっ、ばっ」
「あはは、佐海くん、顔真っ赤だね」
光希くんに追い打ちをかけられた佐海くんは、完全に口を閉ざしてしまっていた。光希くんのそれは悪気がないから、正直たちが悪いのだ。だから佐海くんは、それをわかった上で何も言えなくなってしまったのだろう。完全にこの場の収集がつかなくなっているのは目に見えてわかることなので、いい加減に切り口を見いださなければならない。するとそこに、遠くから頼城くんが大きな声で霧谷くんを呼ぶ声が響いてきた。う、と酷く嫌そうな顔をした霧谷くんは、渋々といった様子で扉の前に向かっていく。
「紫暮にまで見られたら、多分、もっと面倒くさくなる」
指揮官サン、あとはなんとかして。そう言って扉の先へ向かっていくのを見送って、はてどうしたものかと考える。ひとまず佐海くんが着替えられるように誘導してやらねばならない。丁度話も途切れているのでそのまま着替えることを提案してやれば、ほっとしたように、そうさせてもらいます、と佐海くんは言った。倫理くんはつまらなそうにしていたけど、これ以上は佐海くんが少し可哀想だと思ったので、先程頂いたお菓子で勘弁頂くことにする。
「それじゃあ佐海くん、俺たち先に出てるから」
「あ、はい、ありがとうございます」
佐海くんの面持ちは先程よりは明るく見えたので、とりあえずこれで大丈夫か、と安堵した。ひとまず一件落着だろう。



正直に言えば、何も思わないわけではなかった。佐海くんは面持ちにまだ子供らしさがあるし、仮に髪の毛を結うだとか、化粧をするだとか、そういうことをきちんとしてしまえば、それはそれで、女子学生らしい姿になることは容易に想像がついた。俺は彼のことを好いているので、少しばかり色眼鏡で見ているかもしれないけれど。かなり恥ずかしそうにしていたのを見るに、下手なことは口に出すべきではなかった気もしていて、改めて、何もなくてよかったとため息をついた。
切り分けたお菓子と用意したお茶を食堂に置いて、ひとまず仕事に戻らなければと執務室に入ると、そこには見覚えのある後ろ姿があった。
「あれ、佐海くん」
「わ! あ、す、すいません、勝手に」
「いや、大丈夫……カステラは? 食べてないの」
「ああ、えっと、もらいます、けど、その前に」
お礼を言っときたくて。そう切り出す佐海くんは、先程みたいに頬を赤らめている。
「さっき、気を遣ってああ言ってくれたんですよね。本当に、助かりました。ありがとうございます」
「いやいや、大したことはしてないよ」
よかったね、大事にならなくて。そう言えば、まあ、文化祭に来ちまえばバレちゃうんですけど、と困ったように笑っていた。それに関しては否定ができないので、そうかもね、と返すことにする。
「でもなあ佐海くん」
「はい」
「俺的にはやっぱり、頂けないと思うよ」
「あ、え、っと、さっきの格好ですか」
「そう」
あはは、そりゃあそうでしょう、気持ち悪いですよ、と佐海くんは言った。気の所為じゃないかもしれないが、少しだけ表情がぎこちなくなってしまっている。そういうつもりはないので、そうじゃなくてね、とあっさり否定してやると、へ? と間抜けな声をあげてこちらを向いた。
「人気者になっちゃいそうだからね」
「……はあ」
「勿体ないな、いろんな人に見られちゃうんだもんなあ」
「そりゃあ、文化祭だし」
「まあ、そうなんだけど」
かわいかったから、できることなら見せたくないんだよ。
そう言って佐海くんの頭をぽんぽんと撫でる。ひどく顔が熱い。我ながら恥ずかしいことを口にしてしまった気がする。誤魔化しの効かないこの場で、ちらりと佐海くんの方を見てみれば、それはもう顔が茹だったように赤くなっていた。何言ってるんですか、指揮官さん、それもありえないでしょ、とあれこれ言ってくる姿を目の前にして、どうしようもなく愛しく感じてしまう。嘘じゃないって、といって抱きしめると、許しちゃいそうだから、やめてください、とくぐもった声が聞こえた。

11月 18, 2019

 タン、と最後のキーを押したところで、画面のものが保存されているところをきっちりと確認した。その瞬間、全身から力が抜けていくような思いがする。終わった。長い戦いだった。
 ここ最近の俺は兎にも角にも忙しさを極めていた。ALIVEから次々送られてくる文書に目を通してはデータを作り、また送られてきてはデータを作りこちらから送信する、それが永遠に続けられたかと思いきや、今度は神ヶ原さんの方から、指揮官さあん、と、それはもう、情けない様子の神ヶ原さんが、折り入って頼みがあるのですが、と言いながらもってきた片付けきれていない書類に一緒になって判を押し続け、また送られてきた文書にひたすら目を通した。更に今週は高頻度でイーターが出現ときた。イーターが出現して実際に戦うのは俺自身ではないけれど、指揮官の俺は彼らの前では指揮官としてきちんとした大人でならなければなかったし、何より彼らを守る責務があった。働かない頭をどうにか動かして、彼らの姿を見守った。兎にも角にも、気を抜く瞬間などなかったのだ。あったとしても、深夜に少しだけ仮眠を取る時くらいだったように思う。
 もう寝よう。何も考えられない。風呂に入る元気もない。
 着替えもせず仕事着のまま近くのソファへ横たわる。ありがたいことに執務室にはソファがあって、そこのソファに横たわっていても誰も咎めはしなかった。もしかしたら誰かが自分をきちんとベッドへと運ぶ可能性があるけれど、今の自分は身体を動かすことがもはや困難になっていた為、情けない話だがこちらにとっては非常に好都合だった。歳下の、しかも高校生に大の大人がベッドまでおぶられるなんてあまりに恥ずかしい話だが、正直そんなことは言っていられなかった。とにかく眠いのだ。どうしようもない。
 コンコン、と控えめな物音がした。扉をノックする音だ。まどろみの中でぼんやりとした意識がわずかながら残っていた俺は、目をつむりながら、力なくはあい、と返事をした。すると、がちゃりと音を立てながら、指揮官さん、と凛とした声が室内に響く。
「さかいくん……?」
「あ、もしかして、起こしちゃいました? すみません、タイミング悪くって」
「んん、いいよ。なにかあった?」
「いえ、あの、神ヶ原さんから、指揮官さんがものすごくお疲れだって聞いて」
 それで、ココアを入れてきたんですけど。そういって目の前の机に置かれたココアからは優しい甘い匂いがした。前みたいにまたマシュマロを入れたんですよ、とにこにこしながら彼は言った。
「飲んでもいい?」
「もちろん! 指揮官さんの為に作ったんですから」
「あはは、ありがとう」
 温かい湯気がのぼるマグカップに手を伸ばし、そのままココアを口にすれば甘い味が口の中に広がった。佐海くんの作ったココアは一等美味しかったが、今日のはいつも以上に身にしみてしまうようなじんわりとした感覚をよぎらせた。やっぱり美味しいな、と口にしたら、照れ笑いをしながら、ありがとうございますと零した。
「指揮官さん」
「ん?」
「俺、指揮官さんには元気でいてほしいので」
 無理して倒れたりしないでくださいね。佐海くんは、俺の服の裾を小さく掴んでそう零した。うつむきがちの顔は少しだけ不安そうで、瞳がゆらゆらと彷徨っている。伏した瞼から生えたまつ毛がふるりと震えて、数度まばたきを繰り返した。それを黙って見つめていると、指揮官さん? と不安そうな顔がそのまま持ち上がる。なんだか無性に抱きしめたくなって、ココアを机に置いた後、佐海くんのことをそっと抱き寄せると、佐海くんもおずおずと手を回してくれた。佐海くんは優しいね、と言ってやると、指揮官さんだからですよ、と恥ずかしさを隠すように顔を埋めてしまう。そっか。そう返せば、返事の代わりに、きゅう、と少しだけ力が込められた気がした。

11月 16, 2019

 討伐が完了してまもなくリンクを解除したオレたちは、他のメンバーと合流すべく元の道を歩いていた。誘導による戦闘で、元の場所より離れまできてしまっていたのだ。帰りの道が少しだけ長い距離だから、この場にいたのがオレだけじゃなくてよかった。なにより、一人で帰る道よりも二人の方が楽しいに決まっている。

 オレがペラペラとどうでもいいことを喋ると、良輔がぽつぽつと返事をしてくれた。少し前までだったら無視されるか、きっと張り詰めた空気が漂って、心底逃げたくなるに違いなかった。だけど今はそんなこともなく会話は滞りなく進んでいく。ふいに「なんだよそれ」といいながら笑うので、ちら、と隣を盗み見る。楽しそうな表情に、思わず目を細めた。

 しばらく歩いていたが、まだ人の気配はない。あたりは静かで、歩く音とオレたちの声だけが響いている。もう少しで人がぱらついてくるのがわかっているけれど、それも少しだけ、勿体ないような気がした。ふと、視界の端にあった手を思い切って掴む。すると、びくりと肩をこわばらせて、驚きを隠せないと言ったような顔をしながら、口をはくはくと動かしている。魚みてー、といって笑ってやれば、だって、お前、外、と顔を真っ赤にして言うのだった。

「大丈夫だよ。誰もいないし」

 そういってやれば、あたりをきょろきょろと見回し、そうだけど、と言葉を落とした。うそうそ、ごめんって。そういいながら手のひらの力を緩めて、良輔の手を解放してやる。しかし、直後にオレの手は良輔の手のひらによって緩く掴まれていた。掴まれた手を見た後に顔をあげれば、未だ顔を赤くした良輔が、視線をそらしたまま辿々しく口を開く。

「そこの、曲がり角まで、だったら……いい」

 しばらく反応できずにいると、伊勢崎? と様子を伺うような視線をこちらに向けてきた。あんなに拒絶していた頃のことを考えると、なんだかおかしいようで、だけど嬉しくて、こそばゆくて、少しだけ怖かった。

一方的に与えるのはなんてことない。こうして返されると、途端にわからなくなる。

 オレは良輔のことが好きだ。良輔がオレのことをどれくらい好きかなんてわからないけれど、多分オレの好きは良輔の想像とははるか遠くにある、と思っている。だからこうして少しずつ許されていくことが怖くなる。許されることに慣れたら、きっと欲張りになってしまうのはわかっていた。だから、許されない方が楽だったのだ。あのままずっと良輔がオレのことを嫌いでいれば、こんなに怖いことはないというのに。

「おい、繋ぐのか繋がねえのか、どっちだよ」
「っ、つなぐし」
「なんなんだよ、もう」

 知らない間に手は放されていたので、再度慌てて引っ掴んだ。良輔の手は温かい。子供体温、と口走る。うるせーなとすかさず言葉が飛んできたが、棘は紛れ込んでいなかった。

「お前、手、なんかぬるい」
「あーそうかも、寒い?」
「別に」

 きゅう、と緩やかに力を込める。すると、良輔のほうからも柔く力が込められた。温かくて心地いい。また気持ちがこそばゆくなる。同時に、また許されてしまった、と思う。

 曲がり角はあっという間にやってきた。ここまでだと思って手を離して、ふいに良輔の顔を見やれば、少しだけ寂しそうな顔をしている気がして、また心が所在を失ってしまう。嬉しいはずなのに、どこか宙ぶらりんな気持ちになっていく。良輔が知ったら怒るだろうな。ぼんやりとした意識をどうにか追いやると、あの横顔も見なかったことにして、いつもどおりの顔をして明るい大通りへと歩み出た。

「なんか腹減ってきたぁ」
「夕飯まであとちょっとだろ。我慢しろ」
「わかってるってば」

 良輔の反抗的な態度に少しだけ安心する。良輔がいつも通りオレに強く当たってくれたほうが、どうにか地面に足をついていられた。ずっと許さなくたってよかったのにと思うのは、今更ずるい話だろうか。

11月 08, 2020

 なあ良輔、と声のする方を向く。すると伊勢崎の唇がゆっくり弧を描いて、そのまま、キスしていい? と発した。俺は勢いに負かされて、いいけど、と返すことしかできなかった。優しく重ね合わせて、かさついた唇をぺろりと舐められては、ぞわりとした感覚が背筋を走っていく。ペースはいつも伊勢崎にあって、今回も例に漏れず俺はされるがままだった。思わず自分の服の裾を握り、伊勢崎によって侵される口内の快楽に流されるのを必死で堪えた。瞳をぎゅっと瞑る。目の前の伊勢崎は、昔隣にいた敬兄でも、星乃へ行った後の伊勢崎とも違う気がして、じゃあ目の前にいる伊勢崎は誰なんだ? と、自ら生み出した暗闇の中で思考を泳がせた。

 俺にとって目の前にいる伊勢崎敬は、自分の中の枠組みに当てはまらない存在になっていた。付き合っているはずなのに、どこか落ち着かなくて、自分の心が浮遊したままになっている。これは、浮かれているとかそういうことではなくて、もっと根源的な違和感だった。俺が結果的に伊勢崎のことを好くことになったのは嘘ではなかったけれど、伊勢崎が自分に対してそうしたものを向けることが、未だに腑に落ちずにいる。

 唇が解放されたとき、随分と長い時間が経ったように思えた。はあ、と力なく息をつけば、大丈夫かあ、なんて声をかけられる。酸欠なのかなんなのか、やたらと瞼が重くて力が入らない。息を整えるのに必死で答えられずにいると、やりすぎちゃったか? とひとりごちながら、俺の前髪をよけるように撫でた。近くにあった伊勢崎の服を引っ張り、するの、と聞けば、良輔がいやならしない、と言った。ここまでしといてそんなことを言うのかと考えると、同時に、こいつも大概嫌な奴だなと思う。

「別にいやじゃない」
「そう?」

 じゃあ、したい。額にキスを落とされてむず痒い気持ちになる。これは助走の一種だった。伊勢崎はこうしてゆっくり俺のことを懐柔していくのだ。何度繰り返しても、悔しいことにこれに打ち勝てたことがない。それくらいに丁寧で、それくらいに優しい手付きが繰り返された。まるで壊れ物を扱うみたいで、別にそんなに丁寧にしなくてもいいと言った時、オレがしたいだけ、とあっさり流された記憶が頭の中を掠めた。

「良輔」
「なに……」
「さっきさあ、……何考えてた……?」

 唐突にそんなことを言われて、さっきって、と言えば、キスしてるとき、と返される。俺が集中していなかったことに気づいていたらしい。なにも、と誤魔化そうとしたが、誤魔化すなよ、と釘を差される。じと、見つめるその瞳と、形の良い唇が動く様が異様にスローに映った。そのすきに裾からゆっくりと這うように手を滑らせたと思えば、逃がさないとでも言うように至近距離に迫られる。吐息と一緒に吐き出される自分の名前が、こそばゆくてぞくりとした。少しだけ下半身が重くなる。

「っ、おまえの、こと」
「……オレ?
「そうだよ、……っぁ」

 敏感になってしまっている部分をかり、と爪で引っかかれる。思わず声が漏れて、声を抑えようとしたら、だめ、と言いながら手を掴まれた。一本一本の指が絡まって、指間にすり、と指が擦れる。そんな小さな刺激でさえも拾って、どうにか耐えるだけで精一杯になってしまう。自分のこのような声を聞いて、自分のものだと認識するのが嫌だった。自分のものじゃないと信じたくても、この目の前の男がそれを許さなくて、結局俺は自分のあられもないような声を今日まで聞き続けている。

「それで、例えば」
「……なに、」
「どんなこと考えてたんだよ」

 オレのことって言ったじゃん。そういいながら手を動かし続けるので、小さな喘ぎを漏らさないように唇を噛む。ぎり、と噛み締めた時、すかさず指を唇に這わされて、血出てる、と言った。そうさせてるのはお前だろ、と思いながら伊勢崎の方を見れば、少し呆れたような、困ったような顔をしていた。いつも余裕そうだから、少しだけ、ざまあみろ、と言ってやりたい気分だった。

「そんなに言いたくないわけ?」
「……声、出したくない」
「ああ、そっちか……オレはお前の声、聞きたいんだけど」

 いつも言ってるけどさ、といいながら、伊勢崎は俺の唇を拭うように舐める。唾液が傷口に染みて少しだけ痛かった。うえ、血の味だ、というので、文句があるならすんな、と返してやる。すると、今日いつもより突っぱねるじゃん、と文句をいいながら、再度唇を重ねた。

 そもそも、こいつにどんなことを考えていたかなんて、教えてやるつもりは全くない。お前が俺を好きなことに納得してないなんて、言えるわけがなかった。でも、ずっとお前にとって俺は二個下で、生意気なクソガキのはずだったのだ。そう思う度、俺は。

 伊勢崎、と呼んでやれば、ん? と視線をこちらに向けてくる。何もしていなければいつもどおりなのに。ずっと慣れないままだったらどうしようかなんて、どうしようもないことを考えた。空いた手で伊勢崎の頬に触れると、手のひらにじわりと熱が伝わってくる。なんだよ、とへらりと笑う伊勢崎に、なんでもない、と言った。

11月 08, 2020

 一松?
 ぼんやりとしたあまり働いてない頭で、ああカラ松か、なんて考えて、無視を決め込んだ。俺が寝ているのだろうと勘違いしたのかなんなのか、カラ松は一息つく。すると、すり、と背中がこすりつけられる感覚がした。まただ。ここ最近、カラ松は俺が寝ているとわかったと思えば、こうして俺の背中に顔をこすりつけてくる。初めてそんなことをされてから2週間経った。また少しこすりつけられる感覚がして、背筋がぞわりとする。
「一松、ごめんな」
 これもお決まりだった。背中をこすりつけては、俺にごめんと一言謝るのだ。それで満足するのか、すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。一連の動作で許しを請い、もういっそ一つの祈りのような、まるで宗教行為のようだとさえ思えた。もう2週間だ。今日こそ一言いってやろうと思ったけれど、タイミングを逃してしまい、くそ、と自分にしか聞こえない大きさで呟く。思い出したかのように眠気がやってきて、なんなんだよ本当に、と思いながら、ゆっくりと意識を手放した。



 重いまぶたを押し上げて、布団の中からちら、と時計に目をやる。1時。もうすっかり辺りは明るくて、長い睡眠を貪ったせいか日差しが鋭く感じた。のそのそと立ち上がるが予想以上に肌寒く、布団へと逆戻り。もう12月だ。俺は寒いのが得意ではない。
 しばらく布団にもぐって暖を取っていると、少し寒い空気を感じた。布団から顔を出せばカラ松が立っていて、まだ寝てたのかと言った。
「うるさい、ほっといて」
「でも、」
「お前には関係ないだろうが」
 ほっとけよ。カラ松はまさに傷ついたような顔をして、ごめん、といった。そういうところが苛つくんだよ。ちっ、と一つ舌打ちをすれば、カラ松はわかりやすく身体をびくつかせ、部屋を出て行った。


 俺はカラ松にそういう想いを寄せている。でもカラ松はそんなことに気づくはずもなく、兄であろうとするが故に、俺を優しく突きはなすのだ。お前は優しい自慢の弟だ、お前を信じているぞ。そういって俺のことを突きはなし続けた。カラ松は多分、当たり前のことをしていただけなのだと思う。狂っていたのは、自分のほうなのだ。
 俺はどんどん悪態をつくようになり、そんなことを言われる度にひどくなっていった。突きはなされる度に、自分が否定されているような気持ちになった。
 お前を信じているぞ、って何を信じているんだ。弟の俺か。生憎俺はお前のことを兄だと思っていない、もう思えないんだ。
 自分が見ている世界を拒絶されているような気分で、ふざけんなと言いたくなった。なんて身勝手な考えなんだろう。こんな風になってしまったのは多分他でもない自分のせいだとわかっているのに。

 自分の想いに気づいてからは、あいつにとっての特別になろうと必死になった。カラ松に否定されているような気がしてから出るようになった悪態が、今となっては、それのおかげでちょっとは特別に近づいているんじゃないかと錯覚する。あいつの特別になれるなら、怯えられてもどうってことなかった。おかしいことはわかっていたけれど、そうでも思わないと、耐えきれる気がしなかった。



 中学生の時、仲良くしていた猫が、ある日突然交通事故でぽっくり死んでしまったことがあった。俺は悲しくてたまらなくて、冷たくなってしまった猫を抱いて、ぼろぼろと大粒の涙をこぼして泣いていた。そのときたまたま一緒にカラ松がいて、そっと俺の頭を撫でてくれた。
 お墓をつくってあげよう、そして花を供えて手をあわせるんだ。ちゃんと迷わず天国へ行けるように。
 まだこんなに拗れることなく、カラ松の前でも素直でいれた俺はこくんと頷いて、近くの公園の外れに猫を埋め、少ないお小遣いで買った一輪の花を供えた。結局最後までカラ松は自分に付き合ってくれて、一緒になって手をあわせていた。
「ちゃんと天国にいけたかな」
「いけたさ。一松にちゃんと埋めてもらって、花も供えてもらって、手もあわせてもらえたんだ」
 あの猫は幸せ者だ。そういってカラ松は俺の頭を撫でて笑った。

「…もし、カラ松兄さんが死んだら、たくさんお花、お供えしてあげる」
 今思えば、目の前にいる人間の死んだ後について話すなんて失礼にもほどがあると思わなくもないけれど、そんなことを考える頭もないほどには子供だったし、同じようにカラ松も子供だった。
「ありがとう、そのときはよろしく頼むな、一松」
 そういって子供ながらに兄の顔をして、わしゃわしゃと少し乱雑に俺の頭を撫でた。
 まだそのときの俺はこんなに禍々しい思いは抱いていなくて、ただ純粋に、嬉しかったのだと思う。


 少し懐かしいことを思い出す。こんなものはもう遠い記憶で、未だに自分が覚えていることに少し驚いた。多分カラ松自身は覚えていないだろう。きっとそうだ、と思い込む。今あんな風にされたら、ひどいことを言って傷つけてしまう気がした。俺はどうしようもないクズで、もう後戻りができない場所まできてしまっている。

 昨日と同じようにすり、と頭をこすりつけられる。なに、と言えば、ぎゅっと服を掴むもんだから、なんとなくびくっとしたのが伝わってきた。起きてたのか、と言う声。そう、今日こそは起きていると決めていたのだ。
「ごめんって、なに」
「一松、」
「昨日言ってたじゃん」
 昨日起きていたことをいってやれば、カラ松はまたぎゅっと服をにぎり、ごめん、といった。正直昨日に始まった話ではないけれど。なによりそういうことが聞きたいわけじゃない。苛立ちが湧き上がってきて、そうじゃねえよと言って振り向こうとした。その瞬間強い力で抑えられて、みないで、と背中からくぐもった声が聞こえてくる。力強さとは反してか細い声で、少し声が湿っぽく、泣いてるのだろうと思った。
 ごめんなさい。ダメな兄貴で、ごめんなさい。
 そう言いながらグスグスと鼻をすすり、泣きつかれたのかなんなのか、またもや寝息が聞こえてくる。はあ、と溜息をついた。勝手に泣きついて、勝手に疲れて先に寝るとか、どんだけ自己中なわけ。もう一つ溜息をついて、俺は瞼を下ろした。



 あのあと大して眠れず8時に起きて、階下へいけばカラ松がいた。おはよう、という姿はいつも通りだった。その様子にひどく腹立たしくなり、俺はたまらず首元を掴む。こいつが涙目になっているのも構いやしない。
「お前さ、なんなの」
「い、いちまつ、」
「夜中にああやってすがりついて、なにがしたいの」
 ふざけんな、こっちの気も知らないで。怯えながらも、不思議そうにこちらをみるカラ松は、多分何もわかっていないのだと思う。
「ごめん、ごめんないちまつ」
「…もういい」
 そういってカラ松のことをはなしてやると、尻もちをついて俺を見上げる目は少し涙ぐんでいて、今にも零れ落ちそうになっていた。いつもならば、あれが俺だけに向けられていると思ったら、たまらない気持ちになる。でも今はそういう感情よりも、自分に大してごめんと言い続けるカラ松が腹立たしくして仕方がなかった。なあ、俺の質問に答えろよ、カラ松。


 そこそこ時間が経ってみんなが起きてきたかと思えば、何か用事があるらしく、支度をしてはさっさと家を出て行った。カラ松も同様で、先ほどのことなどなかったかのように、いつもの調子で居もしないカラ松ガールとやらに会いに行った。そのとき、十四松が家を出る前に俺に声をかけてきたのだ。
 一松兄さん、どっか痛いの?
 勘のいいやつ、なんて心のなかでひとりごちる。
「どこも痛くないけど」
「そっかー!大丈夫かッスか!」
 いってきマッスル!と元気よく外へ飛び出していく十四松の背中を見送った、その時の自分の深い溜息を思い出す。俺はあのとき、あいつみたいにちゃんといつも通りでいられたのだろうか?



 一松、と呼びかける声に振り返る。カラ松だ。いつもの青いパーカーにジーンズといった、格好つけていない、元来のカラ松がそこには立っていた。
 今日は不思議と苛立ちもなくて、むしろ、素直になれるんじゃないかと思えた。カラ松、とこちらからも呼びかける。きょとんとして、少し首をかしげたカラ松に、ちょっとだけ、胸がきゅっとする。
 「俺、カラ松のことが、好きなんだ」
 キラキラと辺りが輝いた気がして、美しいってこういうことなのかも、と頭の片隅で考える。目の前のカラ松はふにゃりと笑って、俺も好き、といった。
 ああ、なんて綺麗なんだ。綺麗すぎて目眩がする。
 その瞬間、これは現実ではない、と悟った。現実にしてはあんまりにも綺麗すぎたのだ、何もかも。こんなところでしか、あいつに素直になれない。目の前のカラ松は依然として、笑顔をたたえてそこに立っている。
 目をあければ、目の前には天井が広がっていた。ああ、やっぱり。


 夜、同じようにまたカラ松は同じように、俺を呼んだ。その瞬間にカラ松の方を向いて、なに、というと、え、とかあ、とか、変な声をあげて、しまいにはなんで、とこぼした。カラ松の目元は少し濡れはじめている。カラ松の手を引いて、周りを起こさないように、静かに布団を這い出て階下へ降りる。居間に入ってカラ松と対峙すれば、不安そうな目でこちらを見ていた。
「なんなの」
「へ、」
「もう一度聞くけど、あんたは何がしたいんだ」
 カラ松がまたごめんというものだから、いらいらして、いいかげんにしろと首元を掴む。
「だって、言ったら、き、きらわれる」
「は?」
「きらわれるだろうから、こっそりずっと、ああやって謝って、」
「ちょっと、カラ松」
 掴んでいた首元をはなしてやる。絶対に間違えない、と思いながらゆっくり聞いた。嫌われるって、どういうこと。ちゃんといって。するとまたぼろぼろと泣き出して、しかし、とうとう、わかったとカラ松は言った。
「俺は、一松のことが、好きなんだ」
「ずっとずっと、前から」
「こんなこと、気持ち悪いって、絶対嫌われるっておもったから、いえなくて」
 苦しかった。一松に申し訳なくなって、ずっと謝ってたんだ。ごめんな、一松。
 気づいたら、泣きながら吐露するカラ松を抱きしめていて、そのままそっと頭を撫でる。何もかもぎこちなかったけれど、これでいいと思った。
「ほんとに、馬鹿だな」
 お互いに。ずっと暗がりだった場所に、光が差し込んだような気がした。



 あの日から数日経った。
 隣に座っているカラ松をみていたら、こちらの視線に気づいて、にへらと笑う。釣られて自分も笑った。俺たちは、晴れてそういう関係になっていた。
「そういえば、昔一松の友達の猫のお墓をつくってあげたことがあったな」
「覚えてたの」
 忘れてるかと思ってた。正直に言えば、ふふ、とカラ松は笑う。
「俺が死んだら花をいっぱい供えてくれるんだろう?」
 そんなことをいうから、死んだ後のことなんかより今のことを考えるほうが先決でしょ、と言ってやる。少しばかりの照れ隠しだ、これくらいは許して欲しい。一瞬虚につかれたような顔をして、そうだな、とカラ松は笑った。

 花はいっぱい供えてやるつもりだけど、まだ死んだ後のことは考えなくてもいいだろう。
 俺は、少し懐かしいようで新鮮な暖かいこのむず痒さを大切にできると、素直に思える気がしている。今はそれだけで、十分なのだ。

12月 12, 2015

 夕暮れが教室に差し込む。春を目の前にした今の季節はまだ少し肌寒い。風雅はマフラーを巻き直し、待っている烈の元へ急いだ。もともと日直だったのもあって日誌を書くのに時間を要してしまったのだ。下駄箱の近くで烈の姿を見つけると、向こうも気づいたようで軽く手を振ってくる。
「悪い、遅れた」
「気にすんなって。日直だったんだろ?」
 歩きながら今日あったできごとなどといったたわいもない話をする。少し前まで烈と対立していた風雅にとっては到底ありえないことで、今でもこうして話したり笑いあったりすることが少し不思議に思うくらいだった。
 学校から出てしばらく歩いていると、突然烈が、あっといって立ち止まる。どうした? と風雅が問えば、烈の目の前には綺麗に咲いた桜の木がたっていた。もうすぐ四月だ。風雅は、烈たちに出会った頃を思い出すと時間の流れがとても早く感じられた。すげー綺麗! と目を輝かせて桜を見る烈の横顔をみる。そうだな、と相槌を打ち、風雅は目を細めて、そういうところに惹かれるのだと改めて思った。烈は何か思いついたように携帯を取り出し、桜の木の下に立った。風雅はこっちにこいという烈の呼びかけに疑問符を浮かべながら、言われるがまま烈の方へいくと、せっかくだから写真を撮りたいと言われた。別に構わないけど、と了承すると、烈は嬉々として持っていた携帯のインカメラのシャッターをきる。ありがとな、といいながら烈は風雅に笑いかけた。


 烈の笑顔は不思議なくらいまっすぐで、風雅にとっては太陽のそれであり、遠くに感じるような錯覚さえ覚えた。だからこそ惹かれ、焦がれる。それくらい、烈の笑顔は風雅の心を溶かしていたといっても過言ではない。あの時の笑顔は今まで以上に風雅の心を揺れ動かし、急速に融解させた。しかし、風雅にとってそれは軽いものではなく、ついには錘となって居座り続け、心の中を傷つけていった。


 そんなこともあったな、と風雅は自分の携帯の写真をみながら思う。携帯の画面には、風雅と烈が桜の木を背に笑っている写真が写っている。二週間前のできごとだった。風雅は、あのとき向けられた笑顔を思い出すと、つきんといった痛みを感じ、そんな自分に後ろめたさも感じるようになっていた。その痛みは日に日に濃くなり、時によっては涙を流した。同性の自分に好かれているのだと気づいたら、烈はどう思うのだろう。気持ち悪いと思うのだろうか、冗談よせよ、なんていってはぐらかすのだろうか。何より、烈の笑顔が見れなくなるのだけはどうしても嫌だった。烈に嫌われたくない。瞳からつう、と頬にそって涙が落ちる。風雅は辛くなって、現実から逃げるように机に伏せた。


 四月を迎えてまだ間もない今日は、せっかくの休日だというのに生憎の雨だった。風雅は、普段から出かけようと思うことも早々ないので特に支障はない。しかし、ふとあの桜の木のことを思い出した。もしかしたら散ってしまうかもしれない。気づいたら風雅は傘を持って、桜の木への道を歩いていた。烈と写真を撮ったあの桜の木をもう一度一目見ておきたかったのだ。風雅の家からそう距離は遠くなく、しばらくかからないうちに桜の木へ辿り着く。風雅の予想通り、ほとんど枝に花びらは残っていなかった。ざあざあと降り注ぐ雨の音をよそに風雅は自分が取り残されたように感じた。
 この桜の木をみていると、またあの日のことが鮮明に思い出された。あの笑顔がまたよぎる。このままでいたい、このままでいればきっと幸せだ、誰も傷つかない、その方がいいに決まっている。烈のことを思いながらずっと心のなかでそう繰り返している。どうして好きになってしまったんだろう。風雅は、ほとんど花びらの残っていない木を見つめてぼんやりと思った。


 翌日、風雅はいつも通り烈と一緒に学校へ向かった。行きがけにあの桜の木の前を通ってみると、昨日の雨で散ってしまった花びらと寂しくなった一本の木が立っていた。陽の光を浴びて朝露がキラキラと光っている。烈は少し残念がったが、すぐに、また来年も見れるといいな! と風雅へ笑顔を向けた。ああ、と風雅はほのかに笑う。来年もまた烈と二人で、再来年も、その先も。そんなことを少し考えて、やめた。息苦しくもなり、また少し泣きたい気持ちにもなった。
「風雅?」
 烈に呼ばれてはっとする。どうしたんだよ? と聞いてくる烈に、なんでもないと風雅は答えた。ぼーっとしてんなよな、といいながら話し始める烈の横顔を見る。話しながらカラカラと笑う烈に、そのままでいてほしいと思った。あの桜のようにあっけなく散るようなことはあってほしくなかったのだ。それはまるで懇願でもあり、祈りでもあった。


 烈のことがどうしようもなく好きで、毎日会うたびに胸の奥が軋んではどんどん傷が増えていく。この想いを打ち明けたら、きっともう隣にいることはできなくなってしまうのだろう。オレは想いをずっと奥底に仕舞いこんで、自分だけの秘密にする。だからせめて、お前の笑顔が消えないように願うことだけは、許して欲しいと切に思った。

8月 01, 2015

 ぼんやりと宙をみつめていたときにふと目にとまったのがモンシロチョウで、ひらひら舞ってるそれを目で追いかけては不思議とふわふわと浮ついた気持ちになった春の日の午後。しかしそのふわふわとした気持ちはモンシロチョウのせいではなく、青い春というものにまんまとのせられた所詮恋のせいだった。それもそのお相手は中学から一緒のあのらっきょ頭ときた。自覚をしたときはホモかよ、と一瞬思いもしたが、そうか俺は金田一のことが好きなのか、とあっけなく納得した。俺だってしいていうならかわいくて柔らかい女の子が好きだ。でも、金田一が喋っている時にみせた笑顔、理解しきれなくて頭に疑問符を浮かべる一瞬、なにかの瞬間ごとに頭はふわふわとした気持ちになって、挙句の果てにはかわいいなどと思ってしまう。ついつい目で追って、目が合えばどうした?と声をかけてくる。その度に俺はなんでもねえよと返した。モンシロチョウをみながらのんきだなと思う。何も考えず、ただただふわふわと飛んでいたい気持ちになった。


 今日は部活中もなんとなくふわふわとしていて、コーチにいやというほど怒られてしまった。いつものことだけどお叱りもいつもより頭に入らなくて、追い打ちをかけられてしまったのだ。部活終わりに、国見ちゃん何か悩み事?なんて及川さんが聞いてくるから別に何もないですよと返す。及川さんに知られたら流石に面倒なことは言わずもがなである。しつこく聞きだそうとする及川さんにうるせえ!と岩泉さんが制裁を加える。相変わらずの光景だとぼんやりと思いながら、少しだけほっとした。

「悪いな、国見」
「大丈夫です」

 かえろ、金田一。突然ふられたことに戸惑いを見せつつも後ろをついてくる。お先に失礼しますと言って部室を出た。

「なあ、国見」
「なんだよ」
「今日、なんかあった?」

 は?と少し眉をひそめる。及川さんがああいうのもなんとなくわかるっつーか、なんか変、と金田一は言った。別になにもないけど。また同じように返すと、そればっかじゃん、ともらした。そろそろ言い訳が効かなくなってきたなと思いながらそんなことないってとはぐらかす。金田一のほうをちら、と伺うと、なんとなく表情はかげっていて、心配させたかもしれないと少しだけ反省した。かといって正直にお前が好きでそれでぼんやりふわふわしちゃってるなんて言えたもんじゃない。別に金田一が気に病むことじゃないって。金田一の肩をたたけば、納得がいかなそうにあっそ、と言った。


 やっぱ変、と金田一は言った。今日は月曜日で部活は休みで、そのまま金田一と家路を歩いていた。数日がたって、流石に部活での調子には影響しなくなっていた。それでも俺はいつまでもふわふわとした気分が抜けないままでいたのだ。何が、と返す。お前こんなに察しいいやつだったっけ。他にもぼんやりといろいろと思い浮かんだけど、それら全部を抑えこんで平然を装った。

「なんとなく。よくわかんないけど」
「すげー面白いくらい伝わってこない」
「でもホントに、言葉にしにくい」
「なんなんだよ」
「どういえばいいのかイマイチピンとこないけど、なんか、」

 ぽやっとしてる。それを聞いた俺はついつい吹き出してしまった。お前がなんなんだよ!と顔を赤くして言ってくる金田一を目の前にして笑いが止まらない。なんだよぽやっとしてるって、効果音間抜けすぎかよ。

「伝わってこないっていうから!」
「それでもぽやっとしてるはないだろ」
「俺にはそう感じたんだよ!」

 心配して損した、と金田一は少しうなだれた。心配したり顔真っ赤にして必死になったりうなだれたり金田一は忙しいやつだ。俺が変な理由がお前のせいって知ったらどんな顔をするんだろう。俺の言葉にいちいち反応してくれるだけで幸せなのかも、と春にやられた頭で馬鹿みたいなことを考える。俺さあ、お前のこと好きなんだよね。そう言えば、は!?とすごく驚いた表情でこちらを向いた。期待通りで嬉しくなって、俺はまたふわふわとした気分になった。

1月 29, 2015

 照りつける日差しと止まることなく流れる汗にうっとおしさを感じる。夏も中盤にさしかかり、暑さも拍車をかけていて、さらにそんな暑い日に親からの頼まれごとでわざわざ外に出るなんてことは一層眉をひそめる原因となっていた。毎日部活で忙しい自分に、たまには親孝行しなさいといった母親を恨めしく思う。親孝行は別にいいがなんで今日なんだ、こんな日は涼しい環境の中ベッドの上でゆっくりしたいのに。炎天下の中、俺はやり場のない苛立ちを募らせていた。ほんと、嫌になる。そういえば昔にもこんなことがあったとふと思い出した。あの時も親からの頼まれごとで外へ出たのだ。そのときは、近所の通り道で影山飛雄に遭遇した。バレーボールを持っていたあいつに、何してんのと聞いたのは愚問だったと思う。あいつは小さな声で、練習してた、と答えたような気がする。昔の話だからあまり覚えていないが、どうしてこんなときによりによってあいつのことなんか。また苛立って、頭から掻き消すように意識する。今日は散々だな、と改めて思った。

 やっと街に辿り着き用事を済ませた頃にはお昼時になっていた。しかし腹が減っているわけでもなく、とりあえず暑さしのぎに近くにあった大型店舗へと入る。入った瞬間に感じる冷気に、思わず天国かと呟いてしまった。近くにあったベンチに座って一息つくと、心なしか少し楽になった気がした。あたりをみると多くの人で賑わっていて、こんな暑い日でも出かけたくなるもんなのか、と理解できない気持ちをため息で吐き出す。座ってぼんやりしていてもいいが、ここでずっと座っているわけにもいかないので、せっかくきたのだからとぶらぶら店の中を見て回ることにした。人の流れに身を任せて歩き、目に止まった靴屋に足を向ける。ここの一店舗であるスポーツ量販店へと出向いてもいいのだが、なんとなく嫌な予感がして、やめた。しかしその嫌な予感は既にここにくる前に気づいておくべきだったのだ。すぐ近くから国見?と声をかける、聞き覚えのある声。振り返ると、驚いた顔の影山飛雄が立っていた。

 ここじゃなんだからとファストフード店へと入った俺達は、簡単に注文を済ませ、てきとうな席へと座った。そこまではよかったのだが、ふと何故こいつと一緒にこんなところへきてしまったんだと思い返す。あそこで別れておけばよかったものの。ため息をつけばあからさまに肩をこわばらせた影山にまた苛立ちを募らせる。

「あのさ、何をそんなにびくびくしてんの」
「別に…」

 何が別になんだ。明らかに自分に対してびびっていることは目に見えてわかる。自分の態度がこんなんだからなんだろうが、それにしたって。本当なんでこいつと一緒になんかきちゃったんだろうとぼんやり考えながら注文したジュースへと手を付ける。冷たくて甘い液体が喉を通るのが心地いい。少し落ち着いたところで未だに俯いてそわそわしたままの向かいの席に座る奴に声をかける。お前今日なにしてたの。びくりと顔をあげて、またきょろきょろと落ち着かなくなる。そしてまた、あのときのような小さな声で、サポーターとか、そういうの見に来た、と答えた。ふうんと一言返す。こいつはいつだってバレーばっかだなと改めて思いながらまたストローへと口をつけた。国見は、と控えめにきいてくる影山に、親の頼まれごとと答えると、影山もまた、ふうんと返した。こいつはコミュニケーションが苦手という以前に、多分昔のこともあって、こうやって俺と話すのは気持ち的にも憚られるのかもしれない。まあ俺も同じようなもんというか、あまりこいつと積極的に話す気にはなれないのだけれど。影山がよくくるのか、と尋ねてきた。多分この大型店舗のことだろう。別に、今日はたまたまと答えればそうか、といった。

 そんな調子でてきとうに会話を続けていて、そろそろ時間だから、と影山は切り出した。そう、といって二人で店内を出る。じゃあ、というと、影山はおう、と返した。

「またな」

 目を見張った。視線を逸らしたままぽつりと言ったっきり踵を返し歩いて行く後ろ姿は多分俺がどんな顔なのかも、どんな心境なのかも、察することはできないだろう。なんだよまたなって、この次があるっていうのかよ。さっきまで俺といて終始落ち着きがなかったくせに?それでも、あいつは次があるということを残していった。あの時間に取り残されたのは自分だけなのかと思ったら、なんだか悔しくなって、なんだよそれ、と独りごちる。そういった俺の口元がほんの少しだけ緩んでいたことは、俺だけが知っていれば十分だと思った。

8月 12, 2014 / ごめんねママ

 俺は多分今は夢の中にいるのだ。そこはふわふわしていて、しいていうなら無重力といったところかもしれない。ふわふわ、ふわふわ。足元が妙に浮ついていて、足を進ませにくい。景色は藍色から白へのグラデーションのようになっている。こんなところ、多分、夢でしかありえない。どうして俺はこんなところにいるんだろう。夢だからだ。じゃあ、夢の中の俺はどうしてこんなところにいるのだろう。ふと考えた時によぎったのは、綺麗なミルクティー色をした髪の毛のあいつの顔だった。ふわり、と笑って、謙也、と優しい声で話しかけてくる。白石は、どこにいってしまったのだろう。


 目を開けると、眩しい光が差し込んでいた。やはり、夢だったのだ。でも、白石がいないのは夢じゃない。白石は一週間前から姿を消した。その連絡を受けたのは昨日のことで、信じられなくて頭が真っ白になった。けれど、時間が止まってくれるわけでもないのだ。白石のことを探したくても、学校に行ったり部活に行ったりで探しに行くことはできない。サボればいいんだろうが、もしここに白石がいたら、きっとサボろうとする俺を止めるだろう。だから、俺は普通に学校へ行く。白石のためにも。
 授業中、ずっと白石のことを考えてた。白石になにがあったのか、俺には全く検討がつかない。何せ白石は人にそういうところを見せないのだ。だから白石は俺たちの目の前から静かにひっそりと、消えたのだ。でも、やっぱり平静は装いきれなくて、今日の放課後の練習では調子は良くなかった。財前は調子悪いんなら帰ったほうがええんとちゃいます?と珍しく気を使ってくれた。財前もいつもどおりに見えるけど、ぼうっと立っていたり、呼んでも気づかなかったりで、きっと内心はあまり穏やかではないのだと思う。それは財前だけに越した話ではない。みんな今日はそんな調子なのだ。俺を含めて、みんな白石が心配なのだ。


 今日の夜、また夢をみた。今日もまた同じ空間で歩く俺は、何を探しているのだろう。しかし、今日は別の足音がする。そして、ダイレクトに聞こえる声。謙也。振り返れば、あのミルクティー色の髪の毛のあいつが立っていた。白石。なあ、白石、帰ろう。そういった俺をみて、白石はかなしそうに笑って、ごめんなあ、とだけ言った。その瞬間に、すうっと白石は光にになって、俺の目の前から消えた。白石、白石。なあ、お前、今どこにおるん。


 翌日の放課後、日誌の当番だった俺は目の前にある日誌につらつらと書き連ねていく。今日あった出来事を淡々と。白石がいなくなった日からの日誌を意味もなく読み進めた。白石がいなくても時間は進んでいるのだ。白石、だから早く戻ってきて。俺はお前がいないとなんもできひん。だから、だから。俺はそのまま伏せて夢に落ちていってしまったのだろう。またあの光景がきらきら光って俺の周りに広がっている。そして、目の前には白石。もう授業もすすんだ。部活のみんなだって強くなってきてる。みんなに追い越される前にもっともっと強くならなあかん。だってみんなの大好きな白石には一番であってほしいやろ?だから、早く、帰ろ。泣きながら俺は懇願したけれど、白石は悲しそうに笑って目の前から消えた。そのとき、耳に聞こえたのは財前の声で。謙也さん、泣いてはるんですか。そう言われて目元を触ると、濡れた筋に触れた。ああ、俺は、白石のために泣けたんやな。そう思って目を閉じる。ごめんな白石、もう戻ってこないってわかってる。みんなの気持ちだって心配という類のものではなかったのも知ってる。それでも葬儀の日、俺は泣けへんかったんや。だから俺は、今お前のために泣けてよかったって、思ってる。

1月 06, 2014 / 水母

 教室を見回したときにふと目に入った落とし物のハンカチ。それはそれはかわいらしくて、さすがに女の子の落とし物であると検討がつく。佐伯くん!と背後から呼ばれた声になるほどやはりこのハンカチの持ち主で、ありがとうなんてほんのり頬を染めて受け取って行ってしまった。頬を染めたところで俺には何もできないよ。そう思いつつ自然と下がる眉は相変わらず、俺は何もなかったのように席へと戻る。もしあの落とし物が彼の、亮のものだったら。そう想像したときに、いや、とかき消す。そんなことを思ってしまうからいけないのだ。現実から背けるように、授業開始のチャイムに意味もなく耳を傾ける。無機質な音が、鼓膜を響かせた。

 昼休みになったとき、俺は先生の手伝いで廊下に出ていた。見覚えのあるものが落ちていて、多分それは亮のものと思われるハンカチで。トイレに行った時にでも落としたのだろうか。まさかほんとに、こんなことが起こるとは。今亮はどこにいるのだろう、と思うが探す気にもなれない。ただ今はぼうっとするだけで、つい先ほどのことがフラッシュバックする。頬を染めた彼女。亮は男で、俺をそんな目で見ていない。そう考えると、自然と眉は下がり、自分がおかしくて無情にも笑ってしまう。当たり前だろう、彼はそんな風に俺に興味を示していない。そう心の自分が言っているようで、なんだか胸がきゅうと締め付けられた。亮にあったときに返さなければと思いつつ制服のズボンにつっこみ、何もないという顔で歩く。教室へ戻った時にクラスメイトがお前顔色悪そうだけど、と指摘をしてきたのに対し大丈夫だよとなるべく悟られないように言葉を返す。なにもしていないのにまるで振られてしまったような気持ちに気づかぬ間になってしまっていたかもしれない。表情に出すなど、笑わせる。次の時間の準備をしつつ、微かに俺はまた、眉を下げて笑いをこぼした。

 確かにこの世は素晴らしいと思うが、しかし時として世の中は残酷だと思う。俺はこんなに思い詰めているのに、きっとこの気持ちを露わにしたときに亮はあっさりとごめんの三文字を躊躇いながらも吐き捨てるのだろう。それを思うと窮屈に感じる。世の中とは、人とはあっさりと人の心を無下にする。しかしそんなことを考えてしまっては自分勝手でしかなくて、相手の気持ちなど考えてもいないことと同等なのだ。

「そういえば、このハンカチ亮のじゃない?」
「あっ本当だ」

 落ちてたよ、というとありがとうと返ってくる。やはりあの女子生徒のように頬は染めることはなかったが、微かに感謝を滲ませた笑みがこぼれていて、俺は予想外だったなと素直に思った。今日の授業も退屈だった、今日のメニューなんだっけ?なんていうたわいもない話をして部室へ向かう。その横顔はいつも通り帽子のかげに隠れ、何を考えているかもわからない。俺は、何がしたいんだろう。亮をこんな風にみて、俺は、一体。

「サエ」
「ん、なに」
「今日、顔色悪いけど」

 大丈夫?と柄にもなく心配してくる亮に大丈夫だよと言いたかった。亮は意地悪だなあ。眉を下げて笑う俺に、はあ?親切の間違いだろと理不尽だとでもいいたいかのように言葉を投げる。亮はさ。なんだよ。好きな人とかいた時ある?そう聞くと、興味を示してなに、お前好きな人できたの?と聞いてくる亮はさっきとはまるで違う雰囲気をまとっている。そんな亮を制止させ質問を問うと、あるけど今は別にと答えを出した亮に対し、そう、とだけいって歩みを進める。亮は俺に好きな人がいるのかいないのかに興味をもっていかれているらしく、執拗に聞いてくる。亮がこんなに必死になって聞いてくるのが珍しくて面白い。

「いるけど、教えない」
「ふーん、まあ、そうだよな」
「きっといったら終わるからね」

 それってどういう、という亮をスルーし今日アサリの味噌汁のみたいなあと呟く。樹っちゃんに頼んでみようなんて考えて、亮のことを呼ぶ。なに、と返してきた亮に不意打ちで口づけをしてやる。お前ふざけるのも大概にしろよという亮に投げかけるのだ。ほらね、終わっちゃった。これまた亮は呆然と、しかしインパクトはあったらしい。彼の頬はほんのりと、赤く染まっていた。それをみて俺は口元が緩み、隠すように部室へと歩みをすすめるのだ。でも頭を冷やし考えれば、なんだただの条件反射にすぎないではないかと思い至る。本当に馬鹿だなあ。そして俺はまた、眉を下げ笑うのだ。

9月 19, 2013 / joy

 ああいらいらする。なんでこんなに今日はいらいらするんだろ。別になにがいやだとかそういうんじゃない。いや、俺が気づいてないだけなのかな。とにかくいらいらする。あーあどうしてくれんのこの気持ち。

 俺は自分の席に座り眠りにつこうと体制を整える。いらいら、いらいら。なんでこんなにいらいらしてるのか自分でもわかんないから寝ることにした。ほんとなんなんだろ。そしたらあまりにも周りがうるさいからガタン!とわざと音を立てて教室を出てやる。はは、みんなして驚いた顔して、ばっかみたい。俺はそう顔で告げて屋上へと向かった。

 屋上は嫌いじゃないしむしろ好き。世話を任されている花々は綺麗だし、人少ないし、くる人もだいぶ限られてくる。でも今日はちがう。今日の屋上は嫌い。目の前で繰り広げられる寸劇。男子生徒が一人と女子生徒が二人。コイツはあたしの彼氏なんだよなんていかにもいいそうなチャラチャラした片方の女子が気弱な女子に対してガンつけていて残った男子生徒はどうしたらいいかわかんない表情、要するにいかにも割り込んだらめんどくさそうな類のやつ。なんだよせっかく屋上でゆっくりしようと思ったのにこいつらのせいで台無しだよ。仕方なく影に隠れて狸寝入り。あーあもうやんなっちゃうな。この訳のわからないいらいらと目の前の寸劇何もかも全部がいやになる。気づいたら本当に寝てしまって次の授業はサボる形となってしまった。やっちゃったな、と思うけどどうでもいい。今は気分を落ち着けることが先決だ。

 さすがに授業は受けるのか既に目の前の寸劇はなにもなかったかのように人っ子一人いない。ひとりだけのこの屋上で、もう思い出せないと思いつつ考えたんだ。俺なんでこんないらいらしてるんだっけ。いつから?たぶん、昨日だ。朝も寝起きが悪かった。そう考えた瞬間、思い当たるものを思い出す。昨日の放課後。帰り道。丸井が告白を受けていた。あー確実にこれだと思い起こしてくだらないとひとり愚痴る。だって、まさかいらいらの理由が思いを寄せている相手が告白されてたからとか、すごい恥ずかしい。しかも相手丸井だし。そういえばなんで丸井なんて好きになっちゃったんだろ、自分でもわからない。でもどこか惹かれるんだよなあ、とあの笑顔を思い出しながらふふ、と笑みがこぼれる。なんかいらいらしてたこともどうでもよくなってきてしまって、改めて恋というのはすごいと思った。でもやはり丸井が告白されてたのはいただけないなあ、受けたのかな。まああの女の子ちょっとかわいかったし受けたかな。そんなことを考えていたら影から俺を呼ぶ馴染みのある声。幸村くんなにしてんの。丸井だ。なんでこういうタイミングでくるかなあ、ほんと空気の読めないやつ。

「ああ、丸井か。別になにもしてないよ」
「何もしてないってことはないだろい?」
「ほんと、なにもしてなかったって」

 強いて言うならサボってたってところかな。そんなことをいっててきとうにごまかす。ごまかすというか、事実だから別に俺は間違ったことはいっていない。へえ、なんか意外。そういって俺の隣に座る丸井を横目に、自分の脈拍が早くなったことに気づく。そして落胆。チームメイトに対してこんな感情抱くなんてほんと無様というかなんというか、まあ真田とかじゃないだけまだいいか。しかしほんと、さっきも思ったけどなんで丸井なんだろ。解決させた話題のはずなのに、結局納得がいかなくてもう一度掘り起こす。改めて隣に座っている丸井の横顔を見た。意外と長い睫毛、綺麗に染められた赤髪。かわいらしいけど、男であることを感じる。みていたら、なんとなく甘そうだと、思った。丸井は甘いものが好きだから甘そうとか、そういうんじゃなくて。元から骨の髄から甘そうだと思った。

「丸井はきっと食べたらゲロ甘だろうね」
「は?何言ってんの幸村くん」
「いや、こっちの話」

 そういって丸井に不意打ちで口づけをくれてやる。触れるだけだったのに溶けそうなほどに甘い気がした。唇が離れたときの丸井の驚いた顔ったら本当笑うしかない。その顔を見てしたり顔をする。ほら、やっぱり丸井はゲロ甘だよ。そしたら顔を真っ赤にして幸村くんの馬鹿!なんていうもんだからたまったもんじゃない。嫌だった?と問うてみる。嫌じゃない。とぎれとぎれでとても小さな声だったけど、確かにそう聞こえて俺は心の底から嬉しい気持ちがこみ上げてきて、ふわふわと宙を舞う。幸村くんも甘いよ、ゲロ甘。なんだ、人のことはいえなかったみたいだね。でもこれは今だけで、結局片思いのままだ。ていうかまず本当に受けたのかな。つーかまず告白じゃなかったらどうしよ、俺超恥ずかしい。ねえ丸井。なに、幸村くん。お前昨日告白されてたんじゃないの。

「ああ、断ったよ」

 だから、気にせず幸村くんでいっぱいにして。柔らかい、丸井の笑顔。俺はこの笑顔が好きだ。そして俺はもう一度、目の前の想い人にキスを送る。なんとなくだけれど、なんで丸井が好きなのかわかった気がしたんだ。このまま俺は嫌なことなんて本当になかったかのように、恋に陶酔していくんだと思う。それもまた、悪くないと思った。

4月 14, 2013 / ごめんねママ

 自分、うっといねん。

 そんな言葉を同じクラスで同じ部活仲間で仲良くしとった奴に言われたんはつい先日のことだった。そのせいで今日はなんだか気まずいままに一日がすぎてしまった。ベッドの上、俺は宙を仰ぎながら考える。普通にすごしていて、確かにみんなは優しい。でも白石のいうとおり俺は元気通り越してうっといからもしかしたらみんなに嫌われてるかもしれん。少しそれを考えて、ぞっとする。もしもの話を考えるのがこんなに辛いなんて思ってなかった。まあ、部活にいる生意気な後輩は思っていそうだけど。実際親友に言われるのはなんか言葉が重たくて、ついにはこんなことまで考えてしまうんだから、やっぱり自分的にこたえているんだと認めざるを得なくなる。現実と向き合うのが怖くなって、俺はそのまま目を閉じた。

 朝の日差しが窓からはいり、朝なんだと認識させられる。学校へ行きたくないし、まず腹痛と頭痛がしていけそうになかった。重たい体を無理やり起こして今日は調子が悪いと親に伝えると、ちゃんと寝てないとあかんでといって出かけて行った。なんでも今日はお友達と一緒らしい。行き先も聞いた気がするけど聞いてられるほど元気はなかった。白石たちは今頃、授業やろか。あんな風に突き放されたことをいわれて、昨日あんなに酷いことを想像してしまっても、こんなにも考えてしまうんだから、つくづくみんなのことが好きなんだと思った。もちろん、白石も含めて。なにも食べる気も起きないのでそのまま自室に戻りベッドに戻る。今は、昨日よりも深い眠りにつけそうな気がした。


 夢を、みた。教室で俺たちは椅子に座ってて、白石が目の前の椅子の背を前にしてこっち向いて喋ってる。謙也、すきやで。綺麗な笑顔と一緒にそんなことをいう白石は、なんだか白石じゃないみたいだった。白石は俺にそんなこといわへんから、あ、嘘か、と思った。夢でもこないな風にズタズタな気持ちにされるのであれば俺は寝ずにそのまま死んでしまいたい、と思った。俺こんなに白石のことすきやったっけ。知らんかったなあ、とつくづく思う。白石、と呟いたとき、生温かいものが頬をつたった気がした。そのとき、ダイレクトに響く声。

「謙也」

 目をゆっくり開ければ、そこには先日うっといといった親友の姿だった。なんで、と問いたくなった。相変わらず頭痛はひどいし腹も痛い。それでも俺は脳みそを無理やり動かしてでも考えた。お前、俺いなくて清々したんとちゃうの。そういいたかったけど、声はつぐんだまま。こわかった。親友の姿が、こんなにこわいと思ったことはないかもしれない。何かいわなあかん、と思っていたときに白石が口を開いた。

「体調」
「へ、」
「体調、大丈夫なん」

 そう聞かれて、あ、え、とどもりつつもあんましよくないと応える。白石は、そか、と短く返して、俯いてしまった。こんなに心配してくれているような言葉も本当か嘘か、やっぱり、嘘なんかなあ。そう考えると悲しくなってきてみぞおちの部分がきゅう、とする。考え込みすぎなんだと思うけど、やっぱりこの親友のこととなるとどうしても考え込んでしまう。今の一つ一つの動作だって、言葉だって、なんだって。失いたくないから余計なんだろうけれど。

「なあ、白石」
「…なに」
「なんで、見舞いきてくれたん」

 俺は勇気を振り絞って、聞いた。これが聞けなきゃ話は始まらないと、思った。白石はどう思ってるだろう。愚問だと思ってる?その言葉さえも、うっといと思っとるんかなあ。体調が優れないのも手伝ってか、考えれば考えるほど悪循環だ。白石は表情を変えない。俺が気づいてないだけかもしれないけれど。なあ白石、お前俺を、どうしたいん。そのとき、急に白石がぐいっと俺の腕をひっぱった。その瞬間に感じたのは唇のやわらかい感触。そしてそれは、一瞬のうちで、すぐになくなる。

「しら、い、し」
「俺な、」

 謙也の歪んだ顔が、すきやねん。
 それをいわれたとき、は、と大きな息と一緒に出すことだけで、精一杯だった。おれの、ゆがんだ、かお。反芻して、俺はつぶやく。そう、謙也の泣いた顔、怒った顔、凄く嫌そうな顔、どれもこれも、全部すき。そういった白石の顔は、とても歪んだいびつな笑みだったと思う。俺は親友のことをなにも知らなかったんやなあ。でも、そんないびつな愛情でも受け入れようとしている自分は、多分もっとおかしいのだろうと、相変わらず頭痛で熱をもった頭を絞り出して思ったのだった。

4月 05, 2013 / joy

 目に見えたものが消えてしまうのはとてもこわいものだ。しゃぼん玉のようにぱちん、ぱちん、と消えてしまう。そこには何もなかったかのように何も残らない。しいていうなら虚無感だけが残るのだ。そして、そんなしゃぼん玉と同じように、目の前の親友という存在も消えてしまうのかと想像したら、自分の想像以上に心は寂しくなった。なんだ、思った以上に自分は脆く出来ている、ちゃんと人間らしいところもあるものだ、なんてのんきなことを思う。そうして苦しくなって、人間は正しくできていくのだ。

 目の前の親友を割れ物を扱うかのようにただただ想い続け、そんなこんなで生憎俺はもうそんな真っ当なものへ戻れたものじゃないかもしれないけれど問題はない。なんていったって俺たち親友、それだけで十分じゃないか。謙也、お前が思いつめることはなにもあらへん、苦しくなるんは俺だけで十分や。そう胸に誓ってこれで2年と何ヶ月。相変わらずヘラヘラと、それでもって無邪気に健気にきらきらと笑っている想い人である我が親友は何も知らずしてずっとこうして俺の隣にいる。でも、それだけで本当にいいのだ。だって本当のことをいったら全部無くなってしまう。それだけは嫌だ、と奥歯を噛み締めずっとずっとこの2年と何ヶ月を一緒に過ごしてきた。そのおかげで、ずっと俺の心臓は、窮屈なままだ。

「…ふふっ」
「何や謙也あからさまに、きもいで」
「うっわヒド」

 ホントのこと言うただけや、といつも通り平坦な声で俺は言う。それでも謙也はずっとにこにこ笑っていて、傍から見たらどうしたん此奴マジできもいわと言わんばかりの笑顔だった。ただ、俺にとってはきらきらとした眩しい笑顔で、ええことあったんやろうなあと上の空に考える。テストの点数がよかった、新しいラケットを買ってもらった、もしかして好きな子に告られた?なんや俺にとってはあんまり得せえへんことばっかやなあ、と自分で考えて終わらせる。それでも俺は謙也が笑顔ならそれでいい。例えほんとに彼女ができたとしても、彼が幸せなら俺も幸せなんていう本の中の物語のような薄ら寒いことを胸に抱いて、俺は自分の生暖かい気持ちの悪い想いをずっと大切にしていこうと思う。謙也を好きになったということを、忘れたくない。好きだという気持ちがあったということが俺は大切だと思うから。実際、だから平気でいられるのだろう。この二人いるのに一人きりのような、生きているのに死んでいるような、この状況を。

「幸せやなあ」
「は?」
「だって、俺今すっごい気持ち高ぶってんねん」
「なんで」

 それは俺が白石の隣に今もこうやっておるからや。
 目を見開く。心臓がどきん、として、それと同時にえぐられたような感じがこみ上げる。なあ、なんで今そんなこというん。自分、俺の気持ちわかってへんやろ。だからそうやって簡単に。それもまたきらきらした笑顔でいうものだからほんとに此奴わかってないんやろなあとしか思えなくてまた苦しくなる。また俺の心臓は、窮屈になった。

12月 14, 2012 / joy