No.9, No.8, No.7, No.6, No.5, No.4, No.37件]

 一松?
 ぼんやりとしたあまり働いてない頭で、ああカラ松か、なんて考えて、無視を決め込んだ。俺が寝ているのだろうと勘違いしたのかなんなのか、カラ松は一息つく。すると、すり、と背中がこすりつけられる感覚がした。まただ。ここ最近、カラ松は俺が寝ているとわかったと思えば、こうして俺の背中に顔をこすりつけてくる。初めてそんなことをされてから2週間経った。また少しこすりつけられる感覚がして、背筋がぞわりとする。
「一松、ごめんな」
 これもお決まりだった。背中をこすりつけては、俺にごめんと一言謝るのだ。それで満足するのか、すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。一連の動作で許しを請い、もういっそ一つの祈りのような、まるで宗教行為のようだとさえ思えた。もう2週間だ。今日こそ一言いってやろうと思ったけれど、タイミングを逃してしまい、くそ、と自分にしか聞こえない大きさで呟く。思い出したかのように眠気がやってきて、なんなんだよ本当に、と思いながら、ゆっくりと意識を手放した。



 重いまぶたを押し上げて、布団の中からちら、と時計に目をやる。1時。もうすっかり辺りは明るくて、長い睡眠を貪ったせいか日差しが鋭く感じた。のそのそと立ち上がるが予想以上に肌寒く、布団へと逆戻り。もう12月だ。俺は寒いのが得意ではない。
 しばらく布団にもぐって暖を取っていると、少し寒い空気を感じた。布団から顔を出せばカラ松が立っていて、まだ寝てたのかと言った。
「うるさい、ほっといて」
「でも、」
「お前には関係ないだろうが」
 ほっとけよ。カラ松はまさに傷ついたような顔をして、ごめん、といった。そういうところが苛つくんだよ。ちっ、と一つ舌打ちをすれば、カラ松はわかりやすく身体をびくつかせ、部屋を出て行った。


 俺はカラ松にそういう想いを寄せている。でもカラ松はそんなことに気づくはずもなく、兄であろうとするが故に、俺を優しく突きはなすのだ。お前は優しい自慢の弟だ、お前を信じているぞ。そういって俺のことを突きはなし続けた。カラ松は多分、当たり前のことをしていただけなのだと思う。狂っていたのは、自分のほうなのだ。
 俺はどんどん悪態をつくようになり、そんなことを言われる度にひどくなっていった。突きはなされる度に、自分が否定されているような気持ちになった。
 お前を信じているぞ、って何を信じているんだ。弟の俺か。生憎俺はお前のことを兄だと思っていない、もう思えないんだ。
 自分が見ている世界を拒絶されているような気分で、ふざけんなと言いたくなった。なんて身勝手な考えなんだろう。こんな風になってしまったのは多分他でもない自分のせいだとわかっているのに。

 自分の想いに気づいてからは、あいつにとっての特別になろうと必死になった。カラ松に否定されているような気がしてから出るようになった悪態が、今となっては、それのおかげでちょっとは特別に近づいているんじゃないかと錯覚する。あいつの特別になれるなら、怯えられてもどうってことなかった。おかしいことはわかっていたけれど、そうでも思わないと、耐えきれる気がしなかった。



 中学生の時、仲良くしていた猫が、ある日突然交通事故でぽっくり死んでしまったことがあった。俺は悲しくてたまらなくて、冷たくなってしまった猫を抱いて、ぼろぼろと大粒の涙をこぼして泣いていた。そのときたまたま一緒にカラ松がいて、そっと俺の頭を撫でてくれた。
 お墓をつくってあげよう、そして花を供えて手をあわせるんだ。ちゃんと迷わず天国へ行けるように。
 まだこんなに拗れることなく、カラ松の前でも素直でいれた俺はこくんと頷いて、近くの公園の外れに猫を埋め、少ないお小遣いで買った一輪の花を供えた。結局最後までカラ松は自分に付き合ってくれて、一緒になって手をあわせていた。
「ちゃんと天国にいけたかな」
「いけたさ。一松にちゃんと埋めてもらって、花も供えてもらって、手もあわせてもらえたんだ」
 あの猫は幸せ者だ。そういってカラ松は俺の頭を撫でて笑った。

「…もし、カラ松兄さんが死んだら、たくさんお花、お供えしてあげる」
 今思えば、目の前にいる人間の死んだ後について話すなんて失礼にもほどがあると思わなくもないけれど、そんなことを考える頭もないほどには子供だったし、同じようにカラ松も子供だった。
「ありがとう、そのときはよろしく頼むな、一松」
 そういって子供ながらに兄の顔をして、わしゃわしゃと少し乱雑に俺の頭を撫でた。
 まだそのときの俺はこんなに禍々しい思いは抱いていなくて、ただ純粋に、嬉しかったのだと思う。


 少し懐かしいことを思い出す。こんなものはもう遠い記憶で、未だに自分が覚えていることに少し驚いた。多分カラ松自身は覚えていないだろう。きっとそうだ、と思い込む。今あんな風にされたら、ひどいことを言って傷つけてしまう気がした。俺はどうしようもないクズで、もう後戻りができない場所まできてしまっている。

 昨日と同じようにすり、と頭をこすりつけられる。なに、と言えば、ぎゅっと服を掴むもんだから、なんとなくびくっとしたのが伝わってきた。起きてたのか、と言う声。そう、今日こそは起きていると決めていたのだ。
「ごめんって、なに」
「一松、」
「昨日言ってたじゃん」
 昨日起きていたことをいってやれば、カラ松はまたぎゅっと服をにぎり、ごめん、といった。正直昨日に始まった話ではないけれど。なによりそういうことが聞きたいわけじゃない。苛立ちが湧き上がってきて、そうじゃねえよと言って振り向こうとした。その瞬間強い力で抑えられて、みないで、と背中からくぐもった声が聞こえてくる。力強さとは反してか細い声で、少し声が湿っぽく、泣いてるのだろうと思った。
 ごめんなさい。ダメな兄貴で、ごめんなさい。
 そう言いながらグスグスと鼻をすすり、泣きつかれたのかなんなのか、またもや寝息が聞こえてくる。はあ、と溜息をついた。勝手に泣きついて、勝手に疲れて先に寝るとか、どんだけ自己中なわけ。もう一つ溜息をついて、俺は瞼を下ろした。



 あのあと大して眠れず8時に起きて、階下へいけばカラ松がいた。おはよう、という姿はいつも通りだった。その様子にひどく腹立たしくなり、俺はたまらず首元を掴む。こいつが涙目になっているのも構いやしない。
「お前さ、なんなの」
「い、いちまつ、」
「夜中にああやってすがりついて、なにがしたいの」
 ふざけんな、こっちの気も知らないで。怯えながらも、不思議そうにこちらをみるカラ松は、多分何もわかっていないのだと思う。
「ごめん、ごめんないちまつ」
「…もういい」
 そういってカラ松のことをはなしてやると、尻もちをついて俺を見上げる目は少し涙ぐんでいて、今にも零れ落ちそうになっていた。いつもならば、あれが俺だけに向けられていると思ったら、たまらない気持ちになる。でも今はそういう感情よりも、自分に大してごめんと言い続けるカラ松が腹立たしくして仕方がなかった。なあ、俺の質問に答えろよ、カラ松。


 そこそこ時間が経ってみんなが起きてきたかと思えば、何か用事があるらしく、支度をしてはさっさと家を出て行った。カラ松も同様で、先ほどのことなどなかったかのように、いつもの調子で居もしないカラ松ガールとやらに会いに行った。そのとき、十四松が家を出る前に俺に声をかけてきたのだ。
 一松兄さん、どっか痛いの?
 勘のいいやつ、なんて心のなかでひとりごちる。
「どこも痛くないけど」
「そっかー!大丈夫かッスか!」
 いってきマッスル!と元気よく外へ飛び出していく十四松の背中を見送った、その時の自分の深い溜息を思い出す。俺はあのとき、あいつみたいにちゃんといつも通りでいられたのだろうか?



 一松、と呼びかける声に振り返る。カラ松だ。いつもの青いパーカーにジーンズといった、格好つけていない、元来のカラ松がそこには立っていた。
 今日は不思議と苛立ちもなくて、むしろ、素直になれるんじゃないかと思えた。カラ松、とこちらからも呼びかける。きょとんとして、少し首をかしげたカラ松に、ちょっとだけ、胸がきゅっとする。
 「俺、カラ松のことが、好きなんだ」
 キラキラと辺りが輝いた気がして、美しいってこういうことなのかも、と頭の片隅で考える。目の前のカラ松はふにゃりと笑って、俺も好き、といった。
 ああ、なんて綺麗なんだ。綺麗すぎて目眩がする。
 その瞬間、これは現実ではない、と悟った。現実にしてはあんまりにも綺麗すぎたのだ、何もかも。こんなところでしか、あいつに素直になれない。目の前のカラ松は依然として、笑顔をたたえてそこに立っている。
 目をあければ、目の前には天井が広がっていた。ああ、やっぱり。


 夜、同じようにまたカラ松は同じように、俺を呼んだ。その瞬間にカラ松の方を向いて、なに、というと、え、とかあ、とか、変な声をあげて、しまいにはなんで、とこぼした。カラ松の目元は少し濡れはじめている。カラ松の手を引いて、周りを起こさないように、静かに布団を這い出て階下へ降りる。居間に入ってカラ松と対峙すれば、不安そうな目でこちらを見ていた。
「なんなの」
「へ、」
「もう一度聞くけど、あんたは何がしたいんだ」
 カラ松がまたごめんというものだから、いらいらして、いいかげんにしろと首元を掴む。
「だって、言ったら、き、きらわれる」
「は?」
「きらわれるだろうから、こっそりずっと、ああやって謝って、」
「ちょっと、カラ松」
 掴んでいた首元をはなしてやる。絶対に間違えない、と思いながらゆっくり聞いた。嫌われるって、どういうこと。ちゃんといって。するとまたぼろぼろと泣き出して、しかし、とうとう、わかったとカラ松は言った。
「俺は、一松のことが、好きなんだ」
「ずっとずっと、前から」
「こんなこと、気持ち悪いって、絶対嫌われるっておもったから、いえなくて」
 苦しかった。一松に申し訳なくなって、ずっと謝ってたんだ。ごめんな、一松。
 気づいたら、泣きながら吐露するカラ松を抱きしめていて、そのままそっと頭を撫でる。何もかもぎこちなかったけれど、これでいいと思った。
「ほんとに、馬鹿だな」
 お互いに。ずっと暗がりだった場所に、光が差し込んだような気がした。



 あの日から数日経った。
 隣に座っているカラ松をみていたら、こちらの視線に気づいて、にへらと笑う。釣られて自分も笑った。俺たちは、晴れてそういう関係になっていた。
「そういえば、昔一松の友達の猫のお墓をつくってあげたことがあったな」
「覚えてたの」
 忘れてるかと思ってた。正直に言えば、ふふ、とカラ松は笑う。
「俺が死んだら花をいっぱい供えてくれるんだろう?」
 そんなことをいうから、死んだ後のことなんかより今のことを考えるほうが先決でしょ、と言ってやる。少しばかりの照れ隠しだ、これくらいは許して欲しい。一瞬虚につかれたような顔をして、そうだな、とカラ松は笑った。

 花はいっぱい供えてやるつもりだけど、まだ死んだ後のことは考えなくてもいいだろう。
 俺は、少し懐かしいようで新鮮な暖かいこのむず痒さを大切にできると、素直に思える気がしている。今はそれだけで、十分なのだ。

12月 12, 2015

 夕暮れが教室に差し込む。春を目の前にした今の季節はまだ少し肌寒い。風雅はマフラーを巻き直し、待っている烈の元へ急いだ。もともと日直だったのもあって日誌を書くのに時間を要してしまったのだ。下駄箱の近くで烈の姿を見つけると、向こうも気づいたようで軽く手を振ってくる。
「悪い、遅れた」
「気にすんなって。日直だったんだろ?」
 歩きながら今日あったできごとなどといったたわいもない話をする。少し前まで烈と対立していた風雅にとっては到底ありえないことで、今でもこうして話したり笑いあったりすることが少し不思議に思うくらいだった。
 学校から出てしばらく歩いていると、突然烈が、あっといって立ち止まる。どうした? と風雅が問えば、烈の目の前には綺麗に咲いた桜の木がたっていた。もうすぐ四月だ。風雅は、烈たちに出会った頃を思い出すと時間の流れがとても早く感じられた。すげー綺麗! と目を輝かせて桜を見る烈の横顔をみる。そうだな、と相槌を打ち、風雅は目を細めて、そういうところに惹かれるのだと改めて思った。烈は何か思いついたように携帯を取り出し、桜の木の下に立った。風雅はこっちにこいという烈の呼びかけに疑問符を浮かべながら、言われるがまま烈の方へいくと、せっかくだから写真を撮りたいと言われた。別に構わないけど、と了承すると、烈は嬉々として持っていた携帯のインカメラのシャッターをきる。ありがとな、といいながら烈は風雅に笑いかけた。


 烈の笑顔は不思議なくらいまっすぐで、風雅にとっては太陽のそれであり、遠くに感じるような錯覚さえ覚えた。だからこそ惹かれ、焦がれる。それくらい、烈の笑顔は風雅の心を溶かしていたといっても過言ではない。あの時の笑顔は今まで以上に風雅の心を揺れ動かし、急速に融解させた。しかし、風雅にとってそれは軽いものではなく、ついには錘となって居座り続け、心の中を傷つけていった。


 そんなこともあったな、と風雅は自分の携帯の写真をみながら思う。携帯の画面には、風雅と烈が桜の木を背に笑っている写真が写っている。二週間前のできごとだった。風雅は、あのとき向けられた笑顔を思い出すと、つきんといった痛みを感じ、そんな自分に後ろめたさも感じるようになっていた。その痛みは日に日に濃くなり、時によっては涙を流した。同性の自分に好かれているのだと気づいたら、烈はどう思うのだろう。気持ち悪いと思うのだろうか、冗談よせよ、なんていってはぐらかすのだろうか。何より、烈の笑顔が見れなくなるのだけはどうしても嫌だった。烈に嫌われたくない。瞳からつう、と頬にそって涙が落ちる。風雅は辛くなって、現実から逃げるように机に伏せた。


 四月を迎えてまだ間もない今日は、せっかくの休日だというのに生憎の雨だった。風雅は、普段から出かけようと思うことも早々ないので特に支障はない。しかし、ふとあの桜の木のことを思い出した。もしかしたら散ってしまうかもしれない。気づいたら風雅は傘を持って、桜の木への道を歩いていた。烈と写真を撮ったあの桜の木をもう一度一目見ておきたかったのだ。風雅の家からそう距離は遠くなく、しばらくかからないうちに桜の木へ辿り着く。風雅の予想通り、ほとんど枝に花びらは残っていなかった。ざあざあと降り注ぐ雨の音をよそに風雅は自分が取り残されたように感じた。
 この桜の木をみていると、またあの日のことが鮮明に思い出された。あの笑顔がまたよぎる。このままでいたい、このままでいればきっと幸せだ、誰も傷つかない、その方がいいに決まっている。烈のことを思いながらずっと心のなかでそう繰り返している。どうして好きになってしまったんだろう。風雅は、ほとんど花びらの残っていない木を見つめてぼんやりと思った。


 翌日、風雅はいつも通り烈と一緒に学校へ向かった。行きがけにあの桜の木の前を通ってみると、昨日の雨で散ってしまった花びらと寂しくなった一本の木が立っていた。陽の光を浴びて朝露がキラキラと光っている。烈は少し残念がったが、すぐに、また来年も見れるといいな! と風雅へ笑顔を向けた。ああ、と風雅はほのかに笑う。来年もまた烈と二人で、再来年も、その先も。そんなことを少し考えて、やめた。息苦しくもなり、また少し泣きたい気持ちにもなった。
「風雅?」
 烈に呼ばれてはっとする。どうしたんだよ? と聞いてくる烈に、なんでもないと風雅は答えた。ぼーっとしてんなよな、といいながら話し始める烈の横顔を見る。話しながらカラカラと笑う烈に、そのままでいてほしいと思った。あの桜のようにあっけなく散るようなことはあってほしくなかったのだ。それはまるで懇願でもあり、祈りでもあった。


 烈のことがどうしようもなく好きで、毎日会うたびに胸の奥が軋んではどんどん傷が増えていく。この想いを打ち明けたら、きっともう隣にいることはできなくなってしまうのだろう。オレは想いをずっと奥底に仕舞いこんで、自分だけの秘密にする。だからせめて、お前の笑顔が消えないように願うことだけは、許して欲しいと切に思った。

8月 01, 2015

 ぼんやりと宙をみつめていたときにふと目にとまったのがモンシロチョウで、ひらひら舞ってるそれを目で追いかけては不思議とふわふわと浮ついた気持ちになった春の日の午後。しかしそのふわふわとした気持ちはモンシロチョウのせいではなく、青い春というものにまんまとのせられた所詮恋のせいだった。それもそのお相手は中学から一緒のあのらっきょ頭ときた。自覚をしたときはホモかよ、と一瞬思いもしたが、そうか俺は金田一のことが好きなのか、とあっけなく納得した。俺だってしいていうならかわいくて柔らかい女の子が好きだ。でも、金田一が喋っている時にみせた笑顔、理解しきれなくて頭に疑問符を浮かべる一瞬、なにかの瞬間ごとに頭はふわふわとした気持ちになって、挙句の果てにはかわいいなどと思ってしまう。ついつい目で追って、目が合えばどうした?と声をかけてくる。その度に俺はなんでもねえよと返した。モンシロチョウをみながらのんきだなと思う。何も考えず、ただただふわふわと飛んでいたい気持ちになった。


 今日は部活中もなんとなくふわふわとしていて、コーチにいやというほど怒られてしまった。いつものことだけどお叱りもいつもより頭に入らなくて、追い打ちをかけられてしまったのだ。部活終わりに、国見ちゃん何か悩み事?なんて及川さんが聞いてくるから別に何もないですよと返す。及川さんに知られたら流石に面倒なことは言わずもがなである。しつこく聞きだそうとする及川さんにうるせえ!と岩泉さんが制裁を加える。相変わらずの光景だとぼんやりと思いながら、少しだけほっとした。

「悪いな、国見」
「大丈夫です」

 かえろ、金田一。突然ふられたことに戸惑いを見せつつも後ろをついてくる。お先に失礼しますと言って部室を出た。

「なあ、国見」
「なんだよ」
「今日、なんかあった?」

 は?と少し眉をひそめる。及川さんがああいうのもなんとなくわかるっつーか、なんか変、と金田一は言った。別になにもないけど。また同じように返すと、そればっかじゃん、ともらした。そろそろ言い訳が効かなくなってきたなと思いながらそんなことないってとはぐらかす。金田一のほうをちら、と伺うと、なんとなく表情はかげっていて、心配させたかもしれないと少しだけ反省した。かといって正直にお前が好きでそれでぼんやりふわふわしちゃってるなんて言えたもんじゃない。別に金田一が気に病むことじゃないって。金田一の肩をたたけば、納得がいかなそうにあっそ、と言った。


 やっぱ変、と金田一は言った。今日は月曜日で部活は休みで、そのまま金田一と家路を歩いていた。数日がたって、流石に部活での調子には影響しなくなっていた。それでも俺はいつまでもふわふわとした気分が抜けないままでいたのだ。何が、と返す。お前こんなに察しいいやつだったっけ。他にもぼんやりといろいろと思い浮かんだけど、それら全部を抑えこんで平然を装った。

「なんとなく。よくわかんないけど」
「すげー面白いくらい伝わってこない」
「でもホントに、言葉にしにくい」
「なんなんだよ」
「どういえばいいのかイマイチピンとこないけど、なんか、」

 ぽやっとしてる。それを聞いた俺はついつい吹き出してしまった。お前がなんなんだよ!と顔を赤くして言ってくる金田一を目の前にして笑いが止まらない。なんだよぽやっとしてるって、効果音間抜けすぎかよ。

「伝わってこないっていうから!」
「それでもぽやっとしてるはないだろ」
「俺にはそう感じたんだよ!」

 心配して損した、と金田一は少しうなだれた。心配したり顔真っ赤にして必死になったりうなだれたり金田一は忙しいやつだ。俺が変な理由がお前のせいって知ったらどんな顔をするんだろう。俺の言葉にいちいち反応してくれるだけで幸せなのかも、と春にやられた頭で馬鹿みたいなことを考える。俺さあ、お前のこと好きなんだよね。そう言えば、は!?とすごく驚いた表情でこちらを向いた。期待通りで嬉しくなって、俺はまたふわふわとした気分になった。

1月 29, 2015

 照りつける日差しと止まることなく流れる汗にうっとおしさを感じる。夏も中盤にさしかかり、暑さも拍車をかけていて、さらにそんな暑い日に親からの頼まれごとでわざわざ外に出るなんてことは一層眉をひそめる原因となっていた。毎日部活で忙しい自分に、たまには親孝行しなさいといった母親を恨めしく思う。親孝行は別にいいがなんで今日なんだ、こんな日は涼しい環境の中ベッドの上でゆっくりしたいのに。炎天下の中、俺はやり場のない苛立ちを募らせていた。ほんと、嫌になる。そういえば昔にもこんなことがあったとふと思い出した。あの時も親からの頼まれごとで外へ出たのだ。そのときは、近所の通り道で影山飛雄に遭遇した。バレーボールを持っていたあいつに、何してんのと聞いたのは愚問だったと思う。あいつは小さな声で、練習してた、と答えたような気がする。昔の話だからあまり覚えていないが、どうしてこんなときによりによってあいつのことなんか。また苛立って、頭から掻き消すように意識する。今日は散々だな、と改めて思った。

 やっと街に辿り着き用事を済ませた頃にはお昼時になっていた。しかし腹が減っているわけでもなく、とりあえず暑さしのぎに近くにあった大型店舗へと入る。入った瞬間に感じる冷気に、思わず天国かと呟いてしまった。近くにあったベンチに座って一息つくと、心なしか少し楽になった気がした。あたりをみると多くの人で賑わっていて、こんな暑い日でも出かけたくなるもんなのか、と理解できない気持ちをため息で吐き出す。座ってぼんやりしていてもいいが、ここでずっと座っているわけにもいかないので、せっかくきたのだからとぶらぶら店の中を見て回ることにした。人の流れに身を任せて歩き、目に止まった靴屋に足を向ける。ここの一店舗であるスポーツ量販店へと出向いてもいいのだが、なんとなく嫌な予感がして、やめた。しかしその嫌な予感は既にここにくる前に気づいておくべきだったのだ。すぐ近くから国見?と声をかける、聞き覚えのある声。振り返ると、驚いた顔の影山飛雄が立っていた。

 ここじゃなんだからとファストフード店へと入った俺達は、簡単に注文を済ませ、てきとうな席へと座った。そこまではよかったのだが、ふと何故こいつと一緒にこんなところへきてしまったんだと思い返す。あそこで別れておけばよかったものの。ため息をつけばあからさまに肩をこわばらせた影山にまた苛立ちを募らせる。

「あのさ、何をそんなにびくびくしてんの」
「別に…」

 何が別になんだ。明らかに自分に対してびびっていることは目に見えてわかる。自分の態度がこんなんだからなんだろうが、それにしたって。本当なんでこいつと一緒になんかきちゃったんだろうとぼんやり考えながら注文したジュースへと手を付ける。冷たくて甘い液体が喉を通るのが心地いい。少し落ち着いたところで未だに俯いてそわそわしたままの向かいの席に座る奴に声をかける。お前今日なにしてたの。びくりと顔をあげて、またきょろきょろと落ち着かなくなる。そしてまた、あのときのような小さな声で、サポーターとか、そういうの見に来た、と答えた。ふうんと一言返す。こいつはいつだってバレーばっかだなと改めて思いながらまたストローへと口をつけた。国見は、と控えめにきいてくる影山に、親の頼まれごとと答えると、影山もまた、ふうんと返した。こいつはコミュニケーションが苦手という以前に、多分昔のこともあって、こうやって俺と話すのは気持ち的にも憚られるのかもしれない。まあ俺も同じようなもんというか、あまりこいつと積極的に話す気にはなれないのだけれど。影山がよくくるのか、と尋ねてきた。多分この大型店舗のことだろう。別に、今日はたまたまと答えればそうか、といった。

 そんな調子でてきとうに会話を続けていて、そろそろ時間だから、と影山は切り出した。そう、といって二人で店内を出る。じゃあ、というと、影山はおう、と返した。

「またな」

 目を見張った。視線を逸らしたままぽつりと言ったっきり踵を返し歩いて行く後ろ姿は多分俺がどんな顔なのかも、どんな心境なのかも、察することはできないだろう。なんだよまたなって、この次があるっていうのかよ。さっきまで俺といて終始落ち着きがなかったくせに?それでも、あいつは次があるということを残していった。あの時間に取り残されたのは自分だけなのかと思ったら、なんだか悔しくなって、なんだよそれ、と独りごちる。そういった俺の口元がほんの少しだけ緩んでいたことは、俺だけが知っていれば十分だと思った。

8月 12, 2014 / ごめんねママ

 俺は多分今は夢の中にいるのだ。そこはふわふわしていて、しいていうなら無重力といったところかもしれない。ふわふわ、ふわふわ。足元が妙に浮ついていて、足を進ませにくい。景色は藍色から白へのグラデーションのようになっている。こんなところ、多分、夢でしかありえない。どうして俺はこんなところにいるんだろう。夢だからだ。じゃあ、夢の中の俺はどうしてこんなところにいるのだろう。ふと考えた時によぎったのは、綺麗なミルクティー色をした髪の毛のあいつの顔だった。ふわり、と笑って、謙也、と優しい声で話しかけてくる。白石は、どこにいってしまったのだろう。


 目を開けると、眩しい光が差し込んでいた。やはり、夢だったのだ。でも、白石がいないのは夢じゃない。白石は一週間前から姿を消した。その連絡を受けたのは昨日のことで、信じられなくて頭が真っ白になった。けれど、時間が止まってくれるわけでもないのだ。白石のことを探したくても、学校に行ったり部活に行ったりで探しに行くことはできない。サボればいいんだろうが、もしここに白石がいたら、きっとサボろうとする俺を止めるだろう。だから、俺は普通に学校へ行く。白石のためにも。
 授業中、ずっと白石のことを考えてた。白石になにがあったのか、俺には全く検討がつかない。何せ白石は人にそういうところを見せないのだ。だから白石は俺たちの目の前から静かにひっそりと、消えたのだ。でも、やっぱり平静は装いきれなくて、今日の放課後の練習では調子は良くなかった。財前は調子悪いんなら帰ったほうがええんとちゃいます?と珍しく気を使ってくれた。財前もいつもどおりに見えるけど、ぼうっと立っていたり、呼んでも気づかなかったりで、きっと内心はあまり穏やかではないのだと思う。それは財前だけに越した話ではない。みんな今日はそんな調子なのだ。俺を含めて、みんな白石が心配なのだ。


 今日の夜、また夢をみた。今日もまた同じ空間で歩く俺は、何を探しているのだろう。しかし、今日は別の足音がする。そして、ダイレクトに聞こえる声。謙也。振り返れば、あのミルクティー色の髪の毛のあいつが立っていた。白石。なあ、白石、帰ろう。そういった俺をみて、白石はかなしそうに笑って、ごめんなあ、とだけ言った。その瞬間に、すうっと白石は光にになって、俺の目の前から消えた。白石、白石。なあ、お前、今どこにおるん。


 翌日の放課後、日誌の当番だった俺は目の前にある日誌につらつらと書き連ねていく。今日あった出来事を淡々と。白石がいなくなった日からの日誌を意味もなく読み進めた。白石がいなくても時間は進んでいるのだ。白石、だから早く戻ってきて。俺はお前がいないとなんもできひん。だから、だから。俺はそのまま伏せて夢に落ちていってしまったのだろう。またあの光景がきらきら光って俺の周りに広がっている。そして、目の前には白石。もう授業もすすんだ。部活のみんなだって強くなってきてる。みんなに追い越される前にもっともっと強くならなあかん。だってみんなの大好きな白石には一番であってほしいやろ?だから、早く、帰ろ。泣きながら俺は懇願したけれど、白石は悲しそうに笑って目の前から消えた。そのとき、耳に聞こえたのは財前の声で。謙也さん、泣いてはるんですか。そう言われて目元を触ると、濡れた筋に触れた。ああ、俺は、白石のために泣けたんやな。そう思って目を閉じる。ごめんな白石、もう戻ってこないってわかってる。みんなの気持ちだって心配という類のものではなかったのも知ってる。それでも葬儀の日、俺は泣けへんかったんや。だから俺は、今お前のために泣けてよかったって、思ってる。

1月 06, 2014 / 水母

 教室を見回したときにふと目に入った落とし物のハンカチ。それはそれはかわいらしくて、さすがに女の子の落とし物であると検討がつく。佐伯くん!と背後から呼ばれた声になるほどやはりこのハンカチの持ち主で、ありがとうなんてほんのり頬を染めて受け取って行ってしまった。頬を染めたところで俺には何もできないよ。そう思いつつ自然と下がる眉は相変わらず、俺は何もなかったのように席へと戻る。もしあの落とし物が彼の、亮のものだったら。そう想像したときに、いや、とかき消す。そんなことを思ってしまうからいけないのだ。現実から背けるように、授業開始のチャイムに意味もなく耳を傾ける。無機質な音が、鼓膜を響かせた。

 昼休みになったとき、俺は先生の手伝いで廊下に出ていた。見覚えのあるものが落ちていて、多分それは亮のものと思われるハンカチで。トイレに行った時にでも落としたのだろうか。まさかほんとに、こんなことが起こるとは。今亮はどこにいるのだろう、と思うが探す気にもなれない。ただ今はぼうっとするだけで、つい先ほどのことがフラッシュバックする。頬を染めた彼女。亮は男で、俺をそんな目で見ていない。そう考えると、自然と眉は下がり、自分がおかしくて無情にも笑ってしまう。当たり前だろう、彼はそんな風に俺に興味を示していない。そう心の自分が言っているようで、なんだか胸がきゅうと締め付けられた。亮にあったときに返さなければと思いつつ制服のズボンにつっこみ、何もないという顔で歩く。教室へ戻った時にクラスメイトがお前顔色悪そうだけど、と指摘をしてきたのに対し大丈夫だよとなるべく悟られないように言葉を返す。なにもしていないのにまるで振られてしまったような気持ちに気づかぬ間になってしまっていたかもしれない。表情に出すなど、笑わせる。次の時間の準備をしつつ、微かに俺はまた、眉を下げて笑いをこぼした。

 確かにこの世は素晴らしいと思うが、しかし時として世の中は残酷だと思う。俺はこんなに思い詰めているのに、きっとこの気持ちを露わにしたときに亮はあっさりとごめんの三文字を躊躇いながらも吐き捨てるのだろう。それを思うと窮屈に感じる。世の中とは、人とはあっさりと人の心を無下にする。しかしそんなことを考えてしまっては自分勝手でしかなくて、相手の気持ちなど考えてもいないことと同等なのだ。

「そういえば、このハンカチ亮のじゃない?」
「あっ本当だ」

 落ちてたよ、というとありがとうと返ってくる。やはりあの女子生徒のように頬は染めることはなかったが、微かに感謝を滲ませた笑みがこぼれていて、俺は予想外だったなと素直に思った。今日の授業も退屈だった、今日のメニューなんだっけ?なんていうたわいもない話をして部室へ向かう。その横顔はいつも通り帽子のかげに隠れ、何を考えているかもわからない。俺は、何がしたいんだろう。亮をこんな風にみて、俺は、一体。

「サエ」
「ん、なに」
「今日、顔色悪いけど」

 大丈夫?と柄にもなく心配してくる亮に大丈夫だよと言いたかった。亮は意地悪だなあ。眉を下げて笑う俺に、はあ?親切の間違いだろと理不尽だとでもいいたいかのように言葉を投げる。亮はさ。なんだよ。好きな人とかいた時ある?そう聞くと、興味を示してなに、お前好きな人できたの?と聞いてくる亮はさっきとはまるで違う雰囲気をまとっている。そんな亮を制止させ質問を問うと、あるけど今は別にと答えを出した亮に対し、そう、とだけいって歩みを進める。亮は俺に好きな人がいるのかいないのかに興味をもっていかれているらしく、執拗に聞いてくる。亮がこんなに必死になって聞いてくるのが珍しくて面白い。

「いるけど、教えない」
「ふーん、まあ、そうだよな」
「きっといったら終わるからね」

 それってどういう、という亮をスルーし今日アサリの味噌汁のみたいなあと呟く。樹っちゃんに頼んでみようなんて考えて、亮のことを呼ぶ。なに、と返してきた亮に不意打ちで口づけをしてやる。お前ふざけるのも大概にしろよという亮に投げかけるのだ。ほらね、終わっちゃった。これまた亮は呆然と、しかしインパクトはあったらしい。彼の頬はほんのりと、赤く染まっていた。それをみて俺は口元が緩み、隠すように部室へと歩みをすすめるのだ。でも頭を冷やし考えれば、なんだただの条件反射にすぎないではないかと思い至る。本当に馬鹿だなあ。そして俺はまた、眉を下げ笑うのだ。

9月 19, 2013 / joy

 ああいらいらする。なんでこんなに今日はいらいらするんだろ。別になにがいやだとかそういうんじゃない。いや、俺が気づいてないだけなのかな。とにかくいらいらする。あーあどうしてくれんのこの気持ち。

 俺は自分の席に座り眠りにつこうと体制を整える。いらいら、いらいら。なんでこんなにいらいらしてるのか自分でもわかんないから寝ることにした。ほんとなんなんだろ。そしたらあまりにも周りがうるさいからガタン!とわざと音を立てて教室を出てやる。はは、みんなして驚いた顔して、ばっかみたい。俺はそう顔で告げて屋上へと向かった。

 屋上は嫌いじゃないしむしろ好き。世話を任されている花々は綺麗だし、人少ないし、くる人もだいぶ限られてくる。でも今日はちがう。今日の屋上は嫌い。目の前で繰り広げられる寸劇。男子生徒が一人と女子生徒が二人。コイツはあたしの彼氏なんだよなんていかにもいいそうなチャラチャラした片方の女子が気弱な女子に対してガンつけていて残った男子生徒はどうしたらいいかわかんない表情、要するにいかにも割り込んだらめんどくさそうな類のやつ。なんだよせっかく屋上でゆっくりしようと思ったのにこいつらのせいで台無しだよ。仕方なく影に隠れて狸寝入り。あーあもうやんなっちゃうな。この訳のわからないいらいらと目の前の寸劇何もかも全部がいやになる。気づいたら本当に寝てしまって次の授業はサボる形となってしまった。やっちゃったな、と思うけどどうでもいい。今は気分を落ち着けることが先決だ。

 さすがに授業は受けるのか既に目の前の寸劇はなにもなかったかのように人っ子一人いない。ひとりだけのこの屋上で、もう思い出せないと思いつつ考えたんだ。俺なんでこんないらいらしてるんだっけ。いつから?たぶん、昨日だ。朝も寝起きが悪かった。そう考えた瞬間、思い当たるものを思い出す。昨日の放課後。帰り道。丸井が告白を受けていた。あー確実にこれだと思い起こしてくだらないとひとり愚痴る。だって、まさかいらいらの理由が思いを寄せている相手が告白されてたからとか、すごい恥ずかしい。しかも相手丸井だし。そういえばなんで丸井なんて好きになっちゃったんだろ、自分でもわからない。でもどこか惹かれるんだよなあ、とあの笑顔を思い出しながらふふ、と笑みがこぼれる。なんかいらいらしてたこともどうでもよくなってきてしまって、改めて恋というのはすごいと思った。でもやはり丸井が告白されてたのはいただけないなあ、受けたのかな。まああの女の子ちょっとかわいかったし受けたかな。そんなことを考えていたら影から俺を呼ぶ馴染みのある声。幸村くんなにしてんの。丸井だ。なんでこういうタイミングでくるかなあ、ほんと空気の読めないやつ。

「ああ、丸井か。別になにもしてないよ」
「何もしてないってことはないだろい?」
「ほんと、なにもしてなかったって」

 強いて言うならサボってたってところかな。そんなことをいっててきとうにごまかす。ごまかすというか、事実だから別に俺は間違ったことはいっていない。へえ、なんか意外。そういって俺の隣に座る丸井を横目に、自分の脈拍が早くなったことに気づく。そして落胆。チームメイトに対してこんな感情抱くなんてほんと無様というかなんというか、まあ真田とかじゃないだけまだいいか。しかしほんと、さっきも思ったけどなんで丸井なんだろ。解決させた話題のはずなのに、結局納得がいかなくてもう一度掘り起こす。改めて隣に座っている丸井の横顔を見た。意外と長い睫毛、綺麗に染められた赤髪。かわいらしいけど、男であることを感じる。みていたら、なんとなく甘そうだと、思った。丸井は甘いものが好きだから甘そうとか、そういうんじゃなくて。元から骨の髄から甘そうだと思った。

「丸井はきっと食べたらゲロ甘だろうね」
「は?何言ってんの幸村くん」
「いや、こっちの話」

 そういって丸井に不意打ちで口づけをくれてやる。触れるだけだったのに溶けそうなほどに甘い気がした。唇が離れたときの丸井の驚いた顔ったら本当笑うしかない。その顔を見てしたり顔をする。ほら、やっぱり丸井はゲロ甘だよ。そしたら顔を真っ赤にして幸村くんの馬鹿!なんていうもんだからたまったもんじゃない。嫌だった?と問うてみる。嫌じゃない。とぎれとぎれでとても小さな声だったけど、確かにそう聞こえて俺は心の底から嬉しい気持ちがこみ上げてきて、ふわふわと宙を舞う。幸村くんも甘いよ、ゲロ甘。なんだ、人のことはいえなかったみたいだね。でもこれは今だけで、結局片思いのままだ。ていうかまず本当に受けたのかな。つーかまず告白じゃなかったらどうしよ、俺超恥ずかしい。ねえ丸井。なに、幸村くん。お前昨日告白されてたんじゃないの。

「ああ、断ったよ」

 だから、気にせず幸村くんでいっぱいにして。柔らかい、丸井の笑顔。俺はこの笑顔が好きだ。そして俺はもう一度、目の前の想い人にキスを送る。なんとなくだけれど、なんで丸井が好きなのかわかった気がしたんだ。このまま俺は嫌なことなんて本当になかったかのように、恋に陶酔していくんだと思う。それもまた、悪くないと思った。

4月 14, 2013 / ごめんねママ