なあ良輔、と声のする方を向く。すると伊勢崎の唇がゆっくり弧を描いて、そのまま、キスしていい? と発した。俺は勢いに負かされて、いいけど、と返すことしかできなかった。優しく重ね合わせて、かさついた唇をぺろりと舐められては、ぞわりとした感覚が背筋を走っていく。ペースはいつも伊勢崎にあって、今回も例に漏れず俺はされるがままだった。思わず自分の服の裾を握り、伊勢崎によって侵される口内の快楽に流されるのを必死で堪えた。瞳をぎゅっと瞑る。目の前の伊勢崎は、昔隣にいた敬兄でも、星乃へ行った後の伊勢崎とも違う気がして、じゃあ目の前にいる伊勢崎は誰なんだ? と、自ら生み出した暗闇の中で思考を泳がせた。 俺にとって目の前にいる伊勢崎敬は、自分の中の枠組みに当てはまらない存在になっていた。付き合っているはずなのに、どこか落ち着かなくて、自分の心が浮遊したままになっている。これは、浮かれているとかそういうことではなくて、もっと根源的な違和感だった。俺が結果的に伊勢崎のことを好くことになったのは嘘ではなかったけれど、伊勢崎が自分に対してそうしたものを向けることが、未だに腑に落ちずにいる。 唇が解放されたとき、随分と長い時間が経ったように思えた。はあ、と力なく息をつけば、大丈夫かあ、なんて声をかけられる。酸欠なのかなんなのか、やたらと瞼が重くて力が入らない。息を整えるのに必死で答えられずにいると、やりすぎちゃったか? とひとりごちながら、俺の前髪をよけるように撫でた。近くにあった伊勢崎の服を引っ張り、するの、と聞けば、良輔がいやならしない、と言った。ここまでしといてそんなことを言うのかと考えると、同時に、こいつも大概嫌な奴だなと思う。「別にいやじゃない」「そう?」 じゃあ、したい。額にキスを落とされてむず痒い気持ちになる。これは助走の一種だった。伊勢崎はこうしてゆっくり俺のことを懐柔していくのだ。何度繰り返しても、悔しいことにこれに打ち勝てたことがない。それくらいに丁寧で、それくらいに優しい手付きが繰り返された。まるで壊れ物を扱うみたいで、別にそんなに丁寧にしなくてもいいと言った時、オレがしたいだけ、とあっさり流された記憶が頭の中を掠めた。「良輔」「なに……」「さっきさあ、……何考えてた……?」 唐突にそんなことを言われて、さっきって、と言えば、キスしてるとき、と返される。俺が集中していなかったことに気づいていたらしい。なにも、と誤魔化そうとしたが、誤魔化すなよ、と釘を差される。じと、見つめるその瞳と、形の良い唇が動く様が異様にスローに映った。そのすきに裾からゆっくりと這うように手を滑らせたと思えば、逃がさないとでも言うように至近距離に迫られる。吐息と一緒に吐き出される自分の名前が、こそばゆくてぞくりとした。少しだけ下半身が重くなる。「っ、おまえの、こと」「……オレ?「そうだよ、……っぁ」 敏感になってしまっている部分をかり、と爪で引っかかれる。思わず声が漏れて、声を抑えようとしたら、だめ、と言いながら手を掴まれた。一本一本の指が絡まって、指間にすり、と指が擦れる。そんな小さな刺激でさえも拾って、どうにか耐えるだけで精一杯になってしまう。自分のこのような声を聞いて、自分のものだと認識するのが嫌だった。自分のものじゃないと信じたくても、この目の前の男がそれを許さなくて、結局俺は自分のあられもないような声を今日まで聞き続けている。「それで、例えば」「……なに、」「どんなこと考えてたんだよ」 オレのことって言ったじゃん。そういいながら手を動かし続けるので、小さな喘ぎを漏らさないように唇を噛む。ぎり、と噛み締めた時、すかさず指を唇に這わされて、血出てる、と言った。そうさせてるのはお前だろ、と思いながら伊勢崎の方を見れば、少し呆れたような、困ったような顔をしていた。いつも余裕そうだから、少しだけ、ざまあみろ、と言ってやりたい気分だった。「そんなに言いたくないわけ?」「……声、出したくない」「ああ、そっちか……オレはお前の声、聞きたいんだけど」 いつも言ってるけどさ、といいながら、伊勢崎は俺の唇を拭うように舐める。唾液が傷口に染みて少しだけ痛かった。うえ、血の味だ、というので、文句があるならすんな、と返してやる。すると、今日いつもより突っぱねるじゃん、と文句をいいながら、再度唇を重ねた。 そもそも、こいつにどんなことを考えていたかなんて、教えてやるつもりは全くない。お前が俺を好きなことに納得してないなんて、言えるわけがなかった。でも、ずっとお前にとって俺は二個下で、生意気なクソガキのはずだったのだ。そう思う度、俺は。 伊勢崎、と呼んでやれば、ん? と視線をこちらに向けてくる。何もしていなければいつもどおりなのに。ずっと慣れないままだったらどうしようかなんて、どうしようもないことを考えた。空いた手で伊勢崎の頬に触れると、手のひらにじわりと熱が伝わってくる。なんだよ、とへらりと笑う伊勢崎に、なんでもない、と言った。11月 08, 2020
俺にとって目の前にいる伊勢崎敬は、自分の中の枠組みに当てはまらない存在になっていた。付き合っているはずなのに、どこか落ち着かなくて、自分の心が浮遊したままになっている。これは、浮かれているとかそういうことではなくて、もっと根源的な違和感だった。俺が結果的に伊勢崎のことを好くことになったのは嘘ではなかったけれど、伊勢崎が自分に対してそうしたものを向けることが、未だに腑に落ちずにいる。
唇が解放されたとき、随分と長い時間が経ったように思えた。はあ、と力なく息をつけば、大丈夫かあ、なんて声をかけられる。酸欠なのかなんなのか、やたらと瞼が重くて力が入らない。息を整えるのに必死で答えられずにいると、やりすぎちゃったか? とひとりごちながら、俺の前髪をよけるように撫でた。近くにあった伊勢崎の服を引っ張り、するの、と聞けば、良輔がいやならしない、と言った。ここまでしといてそんなことを言うのかと考えると、同時に、こいつも大概嫌な奴だなと思う。
「別にいやじゃない」
「そう?」
じゃあ、したい。額にキスを落とされてむず痒い気持ちになる。これは助走の一種だった。伊勢崎はこうしてゆっくり俺のことを懐柔していくのだ。何度繰り返しても、悔しいことにこれに打ち勝てたことがない。それくらいに丁寧で、それくらいに優しい手付きが繰り返された。まるで壊れ物を扱うみたいで、別にそんなに丁寧にしなくてもいいと言った時、オレがしたいだけ、とあっさり流された記憶が頭の中を掠めた。
「良輔」
「なに……」
「さっきさあ、……何考えてた……?」
唐突にそんなことを言われて、さっきって、と言えば、キスしてるとき、と返される。俺が集中していなかったことに気づいていたらしい。なにも、と誤魔化そうとしたが、誤魔化すなよ、と釘を差される。じと、見つめるその瞳と、形の良い唇が動く様が異様にスローに映った。そのすきに裾からゆっくりと這うように手を滑らせたと思えば、逃がさないとでも言うように至近距離に迫られる。吐息と一緒に吐き出される自分の名前が、こそばゆくてぞくりとした。少しだけ下半身が重くなる。
「っ、おまえの、こと」
「……オレ?
「そうだよ、……っぁ」
敏感になってしまっている部分をかり、と爪で引っかかれる。思わず声が漏れて、声を抑えようとしたら、だめ、と言いながら手を掴まれた。一本一本の指が絡まって、指間にすり、と指が擦れる。そんな小さな刺激でさえも拾って、どうにか耐えるだけで精一杯になってしまう。自分のこのような声を聞いて、自分のものだと認識するのが嫌だった。自分のものじゃないと信じたくても、この目の前の男がそれを許さなくて、結局俺は自分のあられもないような声を今日まで聞き続けている。
「それで、例えば」
「……なに、」
「どんなこと考えてたんだよ」
オレのことって言ったじゃん。そういいながら手を動かし続けるので、小さな喘ぎを漏らさないように唇を噛む。ぎり、と噛み締めた時、すかさず指を唇に這わされて、血出てる、と言った。そうさせてるのはお前だろ、と思いながら伊勢崎の方を見れば、少し呆れたような、困ったような顔をしていた。いつも余裕そうだから、少しだけ、ざまあみろ、と言ってやりたい気分だった。
「そんなに言いたくないわけ?」
「……声、出したくない」
「ああ、そっちか……オレはお前の声、聞きたいんだけど」
いつも言ってるけどさ、といいながら、伊勢崎は俺の唇を拭うように舐める。唾液が傷口に染みて少しだけ痛かった。うえ、血の味だ、というので、文句があるならすんな、と返してやる。すると、今日いつもより突っぱねるじゃん、と文句をいいながら、再度唇を重ねた。
そもそも、こいつにどんなことを考えていたかなんて、教えてやるつもりは全くない。お前が俺を好きなことに納得してないなんて、言えるわけがなかった。でも、ずっとお前にとって俺は二個下で、生意気なクソガキのはずだったのだ。そう思う度、俺は。
伊勢崎、と呼んでやれば、ん? と視線をこちらに向けてくる。何もしていなければいつもどおりなのに。ずっと慣れないままだったらどうしようかなんて、どうしようもないことを考えた。空いた手で伊勢崎の頬に触れると、手のひらにじわりと熱が伝わってくる。なんだよ、とへらりと笑う伊勢崎に、なんでもない、と言った。
11月 08, 2020