No.12

 タン、と最後のキーを押したところで、画面のものが保存されているところをきっちりと確認した。その瞬間、全身から力が抜けていくような思いがする。終わった。長い戦いだった。
 ここ最近の俺は兎にも角にも忙しさを極めていた。ALIVEから次々送られてくる文書に目を通してはデータを作り、また送られてきてはデータを作りこちらから送信する、それが永遠に続けられたかと思いきや、今度は神ヶ原さんの方から、指揮官さあん、と、それはもう、情けない様子の神ヶ原さんが、折り入って頼みがあるのですが、と言いながらもってきた片付けきれていない書類に一緒になって判を押し続け、また送られてきた文書にひたすら目を通した。更に今週は高頻度でイーターが出現ときた。イーターが出現して実際に戦うのは俺自身ではないけれど、指揮官の俺は彼らの前では指揮官としてきちんとした大人でならなければなかったし、何より彼らを守る責務があった。働かない頭をどうにか動かして、彼らの姿を見守った。兎にも角にも、気を抜く瞬間などなかったのだ。あったとしても、深夜に少しだけ仮眠を取る時くらいだったように思う。
 もう寝よう。何も考えられない。風呂に入る元気もない。
 着替えもせず仕事着のまま近くのソファへ横たわる。ありがたいことに執務室にはソファがあって、そこのソファに横たわっていても誰も咎めはしなかった。もしかしたら誰かが自分をきちんとベッドへと運ぶ可能性があるけれど、今の自分は身体を動かすことがもはや困難になっていた為、情けない話だがこちらにとっては非常に好都合だった。歳下の、しかも高校生に大の大人がベッドまでおぶられるなんてあまりに恥ずかしい話だが、正直そんなことは言っていられなかった。とにかく眠いのだ。どうしようもない。
 コンコン、と控えめな物音がした。扉をノックする音だ。まどろみの中でぼんやりとした意識がわずかながら残っていた俺は、目をつむりながら、力なくはあい、と返事をした。すると、がちゃりと音を立てながら、指揮官さん、と凛とした声が室内に響く。
「さかいくん……?」
「あ、もしかして、起こしちゃいました? すみません、タイミング悪くって」
「んん、いいよ。なにかあった?」
「いえ、あの、神ヶ原さんから、指揮官さんがものすごくお疲れだって聞いて」
 それで、ココアを入れてきたんですけど。そういって目の前の机に置かれたココアからは優しい甘い匂いがした。前みたいにまたマシュマロを入れたんですよ、とにこにこしながら彼は言った。
「飲んでもいい?」
「もちろん! 指揮官さんの為に作ったんですから」
「あはは、ありがとう」
 温かい湯気がのぼるマグカップに手を伸ばし、そのままココアを口にすれば甘い味が口の中に広がった。佐海くんの作ったココアは一等美味しかったが、今日のはいつも以上に身にしみてしまうようなじんわりとした感覚をよぎらせた。やっぱり美味しいな、と口にしたら、照れ笑いをしながら、ありがとうございますと零した。
「指揮官さん」
「ん?」
「俺、指揮官さんには元気でいてほしいので」
 無理して倒れたりしないでくださいね。佐海くんは、俺の服の裾を小さく掴んでそう零した。うつむきがちの顔は少しだけ不安そうで、瞳がゆらゆらと彷徨っている。伏した瞼から生えたまつ毛がふるりと震えて、数度まばたきを繰り返した。それを黙って見つめていると、指揮官さん? と不安そうな顔がそのまま持ち上がる。なんだか無性に抱きしめたくなって、ココアを机に置いた後、佐海くんのことをそっと抱き寄せると、佐海くんもおずおずと手を回してくれた。佐海くんは優しいね、と言ってやると、指揮官さんだからですよ、と恥ずかしさを隠すように顔を埋めてしまう。そっか。そう返せば、返事の代わりに、きゅう、と少しだけ力が込められた気がした。

11月 16, 2019