幼馴染の晶(あきら)が死んでから三年が経った。交通事故で、それはもう、呆気なく、死んでしまったらしい。らしいというのは、僕はその話を、知人から伝聞で聞いたからだった。葬儀も、親戚間で慎ましく行われたのだそうだ。その話を聞いた時、あまりに信じられなくて、ふうん、そうなんだ、と、中身のない返事をしてしまったのを、未だに覚えている。 僕は晶と幼馴染でとても仲がよかったけれど、晶が死んでしまう二年前に、僕は引っ越しをしてしまっていた。高校に上がってすぐのことで、親の転勤が理由だった。連絡するから、といって連絡をし続けたのは、長くて二ヶ月ほどだったように思う。徐々に連絡は途絶えた。僕は引越し先で新しいコミュニティを築き上げていたし、晶も晶で、きっと高校で友人ができたのだろうと思っていた。 そして僕が、晶が死んだことを知ったのは、大学一年の夏頃のことだった。都内の大学へと進学した僕は、奇跡的に、中学の同級生と再会したのだ。引っ越す前の高校でも、彼は一緒だったため、比較的仲が良い友人の一人だった。「なあ、お前さあ」 七月の、暑さが日に日に増してきた日のことだったと思う。彼は本当に、言いづらそうに、口を重々しく開いた。イズミが死んだの、知ってるか。いずみ、といわれて、一瞬誰のことだかわからなかった。ぽかんとしていたら、お前の幼馴染の、ほら、と言われて、そこでようやくわかったのだった。出水、晶。それが晶の名前だった。そして、思った以上にあっさりした返事をした僕に、お前って結構淡白なんだな、そういうところ、と言ってのけたのだった。「ただいまー」 静かな部屋に一声かける。靴を脱いで部屋に上がり、荷物をおろしてベッドへと寝転んだ。今日はもう何もしたくない、このまま寝てしまおうか、と思っていたら、ドアが開く音がした。「帰ってきて早々におやすみなんて、珍しいね」「疲れたんだよ、今日は」「だからといって、なんにも食べないのもまずいんじゃない」「確かに。おにぎり作ってよ」「できたらそうしてるよ」そうして、困ったように目の前の男は笑った。「そういえば、お前が死んでから三年が経ったね」 まだ成仏しないの? そう尋ねると、ひどいなあ、でも、その通りだ、とまた困ったような笑顔を零した。 僕の部屋には、幽霊の晶が住み着いていた。 晶に再会したのは大学一年の春のことだった。春の木漏れ日が差し込んでい て、日向へ行くと、微かに暖かい空気が肌を撫でたのが心地良い、そんな日だった。大学進学にあたって僕は一人暮らしをはじめていて、散策がてらふらふらと近所を歩いていた。そのとき、大きな桜の木が立っている公園を見つけたのだ。キレイだなあと思いながら、ぼう、と立っていた。そのときだった。誰かが僕の名前を呼んだ声が、かすかに聞こえたのは。「久しぶりだね」 振り返った僕に、そう投げかけてきたのは、幼馴染の晶の姿だった。僕はびっくりして、どうして、と言ったら、この辺に住むことになったんだ、と彼は言った。なんだか懐かしい気持ちと、嬉しさがこみ上げた僕は、いつも以上に口がまわって仕方がなかった。相手が晶だったというのもあると思う。僕たちはたくさんのことを話した。そうしているうちにあっという間に時間が経っていて、名残惜しい気持ちを押し込めて、さよならをした。「また会おうよ。この木の下で」 別れの間際、晶はそういった。いつ暇だとか、そういうことを聞きしそびれてしまったな、と僕は思ったけど、近所で会えるならまあいいか、と、ふわふわとした気持ちで家路を歩いていた。 そのあと、何度か公園に出向いて、晶が目の前に現れたのは二週間のうち五度くらいだったと思う。晶が幽霊だとわかった今だから思うが、会えた日は周りに人が誰一人としていなかった。晶なりの配慮だったのかもしれない。七月に言われて驚けなかったのは、四月の時点で晶と顔を合わせていて、何より、信じられなさすぎて、あんな反応になってしまったのだ。普通再会したら死んでるなんて思わない。後日晶に会った時、お前死んでるの、と聞いた。そのときはじめて、晶に影がないに気づいたのだった。「なあ美穂」「なあに~。あ、これ美味しい」 今日は四限の後、彼女の美穂と落ち合う約束をしていた。最近忙しくて全然話す機会もなかったので、暇な時間を聞いて会うことになったのだ。てきとうなファストフード店に入り、てきとうに注文して空いてる席についた。そして今、単価百円ほどの期間限定商品を口にして美穂は幸せそうにしている。そんな様子をみて、彼女がえらく単純なように思えた。「もし、知り合いの幽霊が何年も自分の近くにまとわりついてたらどうする」「え、何? 怖い話?」「雑談。怖くない」「既に前提が怖いじゃん……」 私怖い話ダメなんだけど、とかなんとかいいながら、甘ったるいパイを口に含んだ。歯を差し込むとドロドロと中のチョコが端から出てきて、ぼとぼとと落ちる。食べるの下手すぎ、といえば、いやこれ難しいんだって、と言ってパッケージについたチョコを舐め取った。「てかそのユーレイ、怨霊とかじゃないの?」「生前仲が良かった場合は?」「えー、そりゃあ、未練とか……」「未練」「そうそう。告白できなかったー、とかさあ」 あ、そう考えるとちょっとロマンチックかもね、いや、でもそれでメンヘラだったら最悪か。そういいながら残りのパイを食べ終えてしまう。僕は買ったポテトに全く手をつけていなかったので、買った状態のまま、完全に冷めきってしまっていた。食べないなら頂戴。そういって手を伸ばす美穂のことなんか正直今どうでもよくて、さっき美穂がいった言葉に頭を支配されていた。「未練?」「そうだよ、お前全く成仏しないじゃん」 なんか未練タラタラだからずっと居座ってんじゃないのかと思って。 そうやって言えば、成仏させたい? と聞いてくる。そりゃ成仏したほうが良いに決まっている。幽霊などはこの世に居ないほうがいい。「俺に未練はないよ」「じゃあなんでこの部屋に居座ってるんだよ」 段々とイライラして、棘のある言い方になってしまう。すると晶はこちらを向いて、はっきりと言った。「未練があるのは、そっちなんじゃないの?」 どきり、とした。そのとおりだった。未練があるのは、晶ではなくて僕で、晶を引き寄せてしまったのはきっと僕なんだろうと思う。そうしてここに縛り付けているのも。僕は晶が好きだった。あのとき過去に連絡が途絶えたのは、晶を忘れられるいいチャンスだと思ったからだった。だけど、結局忘れられなかったし、かといって、その後の連絡のとり方を忘れてしまっていた。酷く緊張していたのだと思う。もう少し早くに、連絡をしておけばよかったと後悔した。だから春に会えて嬉しかったのだ。でもこれじゃあ、意味がないじゃないか。「早く成仏させてくれよ」 晶は、笑っていた。11月 29, 2020
僕は晶と幼馴染でとても仲がよかったけれど、晶が死んでしまう二年前に、僕は引っ越しをしてしまっていた。高校に上がってすぐのことで、親の転勤が理由だった。連絡するから、といって連絡をし続けたのは、長くて二ヶ月ほどだったように思う。徐々に連絡は途絶えた。僕は引越し先で新しいコミュニティを築き上げていたし、晶も晶で、きっと高校で友人ができたのだろうと思っていた。
そして僕が、晶が死んだことを知ったのは、大学一年の夏頃のことだった。都内の大学へと進学した僕は、奇跡的に、中学の同級生と再会したのだ。引っ越す前の高校でも、彼は一緒だったため、比較的仲が良い友人の一人だった。
「なあ、お前さあ」
七月の、暑さが日に日に増してきた日のことだったと思う。彼は本当に、言いづらそうに、口を重々しく開いた。イズミが死んだの、知ってるか。いずみ、といわれて、一瞬誰のことだかわからなかった。ぽかんとしていたら、お前の幼馴染の、ほら、と言われて、そこでようやくわかったのだった。出水、晶。それが晶の名前だった。そして、思った以上にあっさりした返事をした僕に、お前って結構淡白なんだな、そういうところ、と言ってのけたのだった。
「ただいまー」
静かな部屋に一声かける。靴を脱いで部屋に上がり、荷物をおろしてベッドへと寝転んだ。今日はもう何もしたくない、このまま寝てしまおうか、と思っていたら、ドアが開く音がした。
「帰ってきて早々におやすみなんて、珍しいね」
「疲れたんだよ、今日は」
「だからといって、なんにも食べないのもまずいんじゃない」
「確かに。おにぎり作ってよ」
「できたらそうしてるよ」
そうして、困ったように目の前の男は笑った。
「そういえば、お前が死んでから三年が経ったね」
まだ成仏しないの? そう尋ねると、ひどいなあ、でも、その通りだ、とまた困ったような笑顔を零した。
僕の部屋には、幽霊の晶が住み着いていた。
晶に再会したのは大学一年の春のことだった。春の木漏れ日が差し込んでい て、日向へ行くと、微かに暖かい空気が肌を撫でたのが心地良い、そんな日だった。大学進学にあたって僕は一人暮らしをはじめていて、散策がてらふらふらと近所を歩いていた。そのとき、大きな桜の木が立っている公園を見つけたのだ。キレイだなあと思いながら、ぼう、と立っていた。そのときだった。誰かが僕の名前を呼んだ声が、かすかに聞こえたのは。
「久しぶりだね」
振り返った僕に、そう投げかけてきたのは、幼馴染の晶の姿だった。僕はびっくりして、どうして、と言ったら、この辺に住むことになったんだ、と彼は言った。なんだか懐かしい気持ちと、嬉しさがこみ上げた僕は、いつも以上に口がまわって仕方がなかった。相手が晶だったというのもあると思う。僕たちはたくさんのことを話した。そうしているうちにあっという間に時間が経っていて、名残惜しい気持ちを押し込めて、さよならをした。
「また会おうよ。この木の下で」
別れの間際、晶はそういった。いつ暇だとか、そういうことを聞きしそびれてしまったな、と僕は思ったけど、近所で会えるならまあいいか、と、ふわふわとした気持ちで家路を歩いていた。
そのあと、何度か公園に出向いて、晶が目の前に現れたのは二週間のうち五度くらいだったと思う。晶が幽霊だとわかった今だから思うが、会えた日は周りに人が誰一人としていなかった。晶なりの配慮だったのかもしれない。七月に言われて驚けなかったのは、四月の時点で晶と顔を合わせていて、何より、信じられなさすぎて、あんな反応になってしまったのだ。普通再会したら死んでるなんて思わない。後日晶に会った時、お前死んでるの、と聞いた。そのときはじめて、晶に影がないに気づいたのだった。
「なあ美穂」
「なあに~。あ、これ美味しい」
今日は四限の後、彼女の美穂と落ち合う約束をしていた。最近忙しくて全然話す機会もなかったので、暇な時間を聞いて会うことになったのだ。てきとうなファストフード店に入り、てきとうに注文して空いてる席についた。そして今、単価百円ほどの期間限定商品を口にして美穂は幸せそうにしている。そんな様子をみて、彼女がえらく単純なように思えた。
「もし、知り合いの幽霊が何年も自分の近くにまとわりついてたらどうする」
「え、何? 怖い話?」
「雑談。怖くない」
「既に前提が怖いじゃん……」
私怖い話ダメなんだけど、とかなんとかいいながら、甘ったるいパイを口に含んだ。歯を差し込むとドロドロと中のチョコが端から出てきて、ぼとぼとと落ちる。食べるの下手すぎ、といえば、いやこれ難しいんだって、と言ってパッケージについたチョコを舐め取った。
「てかそのユーレイ、怨霊とかじゃないの?」
「生前仲が良かった場合は?」
「えー、そりゃあ、未練とか……」
「未練」
「そうそう。告白できなかったー、とかさあ」
あ、そう考えるとちょっとロマンチックかもね、いや、でもそれでメンヘラだったら最悪か。そういいながら残りのパイを食べ終えてしまう。僕は買ったポテトに全く手をつけていなかったので、買った状態のまま、完全に冷めきってしまっていた。食べないなら頂戴。そういって手を伸ばす美穂のことなんか正直今どうでもよくて、さっき美穂がいった言葉に頭を支配されていた。
「未練?」
「そうだよ、お前全く成仏しないじゃん」
なんか未練タラタラだからずっと居座ってんじゃないのかと思って。
そうやって言えば、成仏させたい? と聞いてくる。そりゃ成仏したほうが良いに決まっている。幽霊などはこの世に居ないほうがいい。
「俺に未練はないよ」
「じゃあなんでこの部屋に居座ってるんだよ」
段々とイライラして、棘のある言い方になってしまう。すると晶はこちらを向いて、はっきりと言った。
「未練があるのは、そっちなんじゃないの?」
どきり、とした。そのとおりだった。未練があるのは、晶ではなくて僕で、晶を引き寄せてしまったのはきっと僕なんだろうと思う。そうしてここに縛り付けているのも。僕は晶が好きだった。あのとき過去に連絡が途絶えたのは、晶を忘れられるいいチャンスだと思ったからだった。だけど、結局忘れられなかったし、かといって、その後の連絡のとり方を忘れてしまっていた。酷く緊張していたのだと思う。もう少し早くに、連絡をしておけばよかったと後悔した。だから春に会えて嬉しかったのだ。でもこれじゃあ、意味がないじゃないか。
「早く成仏させてくれよ」
晶は、笑っていた。
11月 29, 2020