No.15

 ソファで寝ていたところを、俺の顔を覗くようにして、佐海くんにじっと見つめられていた。目をあければ佐海くんの顔があってびっくりしたものだ。起こしちゃいましたか、と佐海くんは言った。別に佐海くんに起こされて起きたわけではなかったので、いいや、と返す。しかしどうしたことか、まるで逃さないとでも言うように俺の上から動こうとしない佐海くんに、俺は不思議に思った。
「佐海くん、どうしたの」
 そうやって尋ねれば、佐海くんは何やらなにかいいたそうにして、口を開いたり閉じたりしている。視線を逸らされたので、いいあぐねていることは理解できた。急かす理由もないのでそのままにしてみる。数秒ほどそれを繰り返し、ようやく視線を合わせて、おずおずと口を開き、音を発していく。
「指揮官さんは、俺とその、そういうことしたいって思わないんですか」
 ぽかん、としてしまったが、現実に引き戻されて、彼に言う。
「そういうことって?」
「そりゃあ、その、そういう、……え、エロいこととか」
「エロいこと」
 自分で反芻した五文字をゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。なるほど、エロいこと。
 俺たちは事実として好き合っている。これは恋とかそういう類のものであったが、キスや抱きしめるという行為をしたとしても、不思議なことにあまり「エロい」とかそういったことを考えようと思わなかった。断じて彼に魅力がないわけではない。しかし、現状でその意識が生まれなかったのも事実だった。
「あんまり考えたことなかったな」
 そう素直に言えば、明らかにわかるように落ち込んでしまった。フォローするように彼に言う。
「別に、佐海くんに魅力がないわけじゃないよ」
「でも、そういうことしたいわけじゃないんですよね」
「うーん、考えつかなかっただけ、というか」
「じゃあ、今は、そう思いますか」
 なるほど、そうくるか。
「佐海くんは、俺とエロいことしたいの?」
 そう尋ねると、目に見えてわかるように顔を赤く染めた。今日も相変わらずの百面相を発揮している。佐海くんもそういうことを考えたりするのかと思ったが、事実として彼は思春期の子供なのだから、当然といえば当然かもしれない。
「そ、そりゃあ」
「したいんだ」
「からかってるんですか!?」
「少しだけね」
 子供扱いされたことにむくれているのか、佐海くんは拗ねたような顔をして、俺の視界から姿を消した。隠れていた蛍光灯の灯りが眩しくて、思わず手で視界を遮る。暗い視界の中で、光のような物がちかちかと光っているのをしばらく眺めた。
「指揮官さん」
 今佐海くんがどんな顔をしているのか俺にはさっぱりわからなかったが、声のトーンで随分と落ち込んでいるようなことは伺えた。彼は素直すぎるきらいがある。
「俺のこと、子供扱いしてますよね」
「そりゃあ、俺からみたら佐海くんは子供だよ」
「ずっと、そうなんですか」
「……そうかもしれないね」
 ひゅ、と息を飲む音がした、気がした。
 身体を起こすと、佐海くんは不安そうな顔でこちらを見つめていた。なにも不安に思うことはないのに。
「佐海くん」
「はい」
「俺は別に、佐海くんのことを嫌いなわけじゃないよ」
「……わかってます。ごめんなさい」
「謝ることじゃないって」
 俯いてしまう佐海くんの手を取って、大丈夫だというように優しく握ってやった。珍しくひんやりとした手のひらに、ぼんやりとした熱を帯びた手を重ねれば、触れたところから体温がなじんで、ゆっくりほどけていくようだった。
「ほんとはね、こういうかんたんなことだって、奇跡みたいに思うよ」
「……どういうことですか?」
「そもそも好き合ってるだけでも夢みたいで、今でもかなり満足してるってこと」
 俺の顔をびっくりしたように見て、小さな声で、そうなんですか、と言った。
「そういうこと、俺としたいって思うんだ」
「……幻滅しましたか」
「ううん、全然」
「本当に?」
 佐海くんはそういって顔をあげては、またこちらを見つめている。瞳の奥がふるりと震えた気がした。覆った膜が落ちてしまいそうで、思わず手で拭いそうになる。目元まで指を這わせたときに、泣いてない、です、と、とぎれとぎれに彼は言った。
「本当だよ」
「……俺、指揮官さんのこと、ずっとすきです。だから、」
 だから、俺がちゃんと大人になったら。
 佐海くんはそこで言葉をつまらせてしまった。さっきよりも目をほそめて、こちらを見つめていた。赤くなった頬は温かさを増して、触れた手のひらからじわりと伝わってくる。ゆっくり落とすように、うん、と返す。
「きっとそのときは、やさしくさせてね」
 そのとき彼の瞳から、ついにほたりと落ちてしまった。

3月 07, 2020