No.16

 春の光が窓から差し込み、合宿施設の舎内も春の陽気に包まれていた。柔らかい日差しを浴びながら宿舎の中を歩いていると、葉緑体もないのに光合成をしている心地がした。あったかいなあ、という自分のつぶやきがぽつりと落ちた。辺りに誰も見当たらなかったが、代わりに遠くの方から微かにボールの跳ねる音がする。狼凰杯まで残り数日。ヒーローのみんなはチームに別れて練習に励んでいるようだ。俺といえば「息抜きも必要」と自分に言い聞かせて、ずっと座りっぱなしだった自席からそそくさと腰を上げたところだった。こんな激務が舞い込んでくる予定はなかったが、ちょっとしたミスが原因で気づいたら気の遠くなるような作業量の仕事がこちらへ回ってきたのだった。狼凰杯まで後数日ということもあり、一刻も早くこの仕事は片付けなければいけないし、できればそうしたいとは思っている。あくまでこの休息は効率のためなのだ。あくまでも。
 廊下をそのまま進み、なんとなく目についた食堂の扉をあける。今日は寮母さんも早上がりの為か、部屋の中はしんと静まり返っていた。近くにあった椅子に座り、そのまま机に伏せてしまう。春の陽気のせいなのか、疲労で脳の処理速度が落ちているせいなのか、頭がいつもよりもふわふわと軽く、正常な判断ができそうにもない。部屋で寝た方がよかったかもしれないなと思い直す。ただ動く気にもなれなかったので、身体を起こしてそのまま背もたれに預けた。
「春だなあ」
 そうしてまた一言呟いたとき、ガチャと扉の開く音がする。まずい、と思わず立ち上がって振り返れば、そこに立っているのは練習着を着た佐海くんだった。
「あれ、指揮官さん?」
 休憩ですか? とにこやかに声をかける姿に安堵して、へなへなとまた椅子に腰を落ち着ける。大丈夫ですか!? とこちらへかけてきて覗き込む顔が、思った以上に焦りが含んでいて、悪いな、という気持ちになった。来たのが研究員じゃなくてよかったと思った瞬間に力が抜けたことは、恥ずかしいので黙っておくことにする。
「うん、大丈夫……ちょっとびっくりして、」
「いえ、こちらこそすみません……! 俺、まさか指揮官さんがいると思わなくて」
「そりゃあ当然だよ、執務室にいるべきだし……」
 ははは、と乾いた笑いが思わず出てしまう。ちら、と佐海くんの方を向けば、また忙しそうですね、と困ったように笑っていた。
「佐海くんは、またマネージャー業務かい」
「そんな感じです。ていうか、浅桐さんまたどっか行っちゃって」
「はは、まあ、いつもどおりか」
「そうですね、不本意ですけど」
 佐海くんはそういいながらくすくすと笑っていた。その所作に何か既視感のようなものを覚えたが、働かない頭では答えを導き出すことも不可能で、ただ漠然と「かわいいな」という言葉が浮かんでは消えた。佐海くんには以前、選手兼マネージャーだねなんて軽い気持ちで言っていたが、どうやら彼は順調にその役目をこなしているようだった。彼はキッチンでくるくると動き回り、昼食の支度を着々と進めていく。ふと時計を見上げれば、長い針と短い針が十二の文字で重なるところだった。ふと立ち上がり、キッチンのそばまで寄ろうとしたところ佐海くんがこちらを向いて、今日は大丈夫ですから座っててください、と言った。俺はそのままゆっくりとした動きで着席し、佐海くんの働く姿を眺めることにする。
「一人で大変じゃない?」
「俺は平気です! 指揮官さん、なんだかお疲れみたいだし……あ!」
 佐海くんはそうして声を上げたかと思えば、冷蔵庫から数個容器を取り出して、パタパタとこちらへと持ってくる。ぱちりと瞬きを数回繰り返せば、佐海くんはにっこりと笑って、指揮官さんに差し入れです! と言った。
「えっ、でも、みんなの分は」
「別に用意してありますよ。俺、この前手伝ってもらったし」
「いや、あんなの大したことじゃ」
「……指揮官さん」
 俺が作りたくて作ったんです。そういって佐海くんは目を細めて笑った。
 風も吹いていないのにふわりとした柔らかい心地が肌を撫でた気がして、ああそうかと思い至る。既視感はこれだったのだ。さっきまで浴びていた陽の光のような、そういうもの。
「佐海くんは春みたいだな」
 そうすると佐海くんが頭にたくさんの疑問符を浮かべているので、思わずくすくすと笑って、なんでもないよ、と言った。

4月 18, 2020