No.8

 夕暮れが教室に差し込む。春を目の前にした今の季節はまだ少し肌寒い。風雅はマフラーを巻き直し、待っている烈の元へ急いだ。もともと日直だったのもあって日誌を書くのに時間を要してしまったのだ。下駄箱の近くで烈の姿を見つけると、向こうも気づいたようで軽く手を振ってくる。
「悪い、遅れた」
「気にすんなって。日直だったんだろ?」
 歩きながら今日あったできごとなどといったたわいもない話をする。少し前まで烈と対立していた風雅にとっては到底ありえないことで、今でもこうして話したり笑いあったりすることが少し不思議に思うくらいだった。
 学校から出てしばらく歩いていると、突然烈が、あっといって立ち止まる。どうした? と風雅が問えば、烈の目の前には綺麗に咲いた桜の木がたっていた。もうすぐ四月だ。風雅は、烈たちに出会った頃を思い出すと時間の流れがとても早く感じられた。すげー綺麗! と目を輝かせて桜を見る烈の横顔をみる。そうだな、と相槌を打ち、風雅は目を細めて、そういうところに惹かれるのだと改めて思った。烈は何か思いついたように携帯を取り出し、桜の木の下に立った。風雅はこっちにこいという烈の呼びかけに疑問符を浮かべながら、言われるがまま烈の方へいくと、せっかくだから写真を撮りたいと言われた。別に構わないけど、と了承すると、烈は嬉々として持っていた携帯のインカメラのシャッターをきる。ありがとな、といいながら烈は風雅に笑いかけた。


 烈の笑顔は不思議なくらいまっすぐで、風雅にとっては太陽のそれであり、遠くに感じるような錯覚さえ覚えた。だからこそ惹かれ、焦がれる。それくらい、烈の笑顔は風雅の心を溶かしていたといっても過言ではない。あの時の笑顔は今まで以上に風雅の心を揺れ動かし、急速に融解させた。しかし、風雅にとってそれは軽いものではなく、ついには錘となって居座り続け、心の中を傷つけていった。


 そんなこともあったな、と風雅は自分の携帯の写真をみながら思う。携帯の画面には、風雅と烈が桜の木を背に笑っている写真が写っている。二週間前のできごとだった。風雅は、あのとき向けられた笑顔を思い出すと、つきんといった痛みを感じ、そんな自分に後ろめたさも感じるようになっていた。その痛みは日に日に濃くなり、時によっては涙を流した。同性の自分に好かれているのだと気づいたら、烈はどう思うのだろう。気持ち悪いと思うのだろうか、冗談よせよ、なんていってはぐらかすのだろうか。何より、烈の笑顔が見れなくなるのだけはどうしても嫌だった。烈に嫌われたくない。瞳からつう、と頬にそって涙が落ちる。風雅は辛くなって、現実から逃げるように机に伏せた。


 四月を迎えてまだ間もない今日は、せっかくの休日だというのに生憎の雨だった。風雅は、普段から出かけようと思うことも早々ないので特に支障はない。しかし、ふとあの桜の木のことを思い出した。もしかしたら散ってしまうかもしれない。気づいたら風雅は傘を持って、桜の木への道を歩いていた。烈と写真を撮ったあの桜の木をもう一度一目見ておきたかったのだ。風雅の家からそう距離は遠くなく、しばらくかからないうちに桜の木へ辿り着く。風雅の予想通り、ほとんど枝に花びらは残っていなかった。ざあざあと降り注ぐ雨の音をよそに風雅は自分が取り残されたように感じた。
 この桜の木をみていると、またあの日のことが鮮明に思い出された。あの笑顔がまたよぎる。このままでいたい、このままでいればきっと幸せだ、誰も傷つかない、その方がいいに決まっている。烈のことを思いながらずっと心のなかでそう繰り返している。どうして好きになってしまったんだろう。風雅は、ほとんど花びらの残っていない木を見つめてぼんやりと思った。


 翌日、風雅はいつも通り烈と一緒に学校へ向かった。行きがけにあの桜の木の前を通ってみると、昨日の雨で散ってしまった花びらと寂しくなった一本の木が立っていた。陽の光を浴びて朝露がキラキラと光っている。烈は少し残念がったが、すぐに、また来年も見れるといいな! と風雅へ笑顔を向けた。ああ、と風雅はほのかに笑う。来年もまた烈と二人で、再来年も、その先も。そんなことを少し考えて、やめた。息苦しくもなり、また少し泣きたい気持ちにもなった。
「風雅?」
 烈に呼ばれてはっとする。どうしたんだよ? と聞いてくる烈に、なんでもないと風雅は答えた。ぼーっとしてんなよな、といいながら話し始める烈の横顔を見る。話しながらカラカラと笑う烈に、そのままでいてほしいと思った。あの桜のようにあっけなく散るようなことはあってほしくなかったのだ。それはまるで懇願でもあり、祈りでもあった。


 烈のことがどうしようもなく好きで、毎日会うたびに胸の奥が軋んではどんどん傷が増えていく。この想いを打ち明けたら、きっともう隣にいることはできなくなってしまうのだろう。オレは想いをずっと奥底に仕舞いこんで、自分だけの秘密にする。だからせめて、お前の笑顔が消えないように願うことだけは、許して欲しいと切に思った。

8月 01, 2015