一松? ぼんやりとしたあまり働いてない頭で、ああカラ松か、なんて考えて、無視を決め込んだ。俺が寝ているのだろうと勘違いしたのかなんなのか、カラ松は一息つく。すると、すり、と背中がこすりつけられる感覚がした。まただ。ここ最近、カラ松は俺が寝ているとわかったと思えば、こうして俺の背中に顔をこすりつけてくる。初めてそんなことをされてから2週間経った。また少しこすりつけられる感覚がして、背筋がぞわりとする。「一松、ごめんな」 これもお決まりだった。背中をこすりつけては、俺にごめんと一言謝るのだ。それで満足するのか、すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。一連の動作で許しを請い、もういっそ一つの祈りのような、まるで宗教行為のようだとさえ思えた。もう2週間だ。今日こそ一言いってやろうと思ったけれど、タイミングを逃してしまい、くそ、と自分にしか聞こえない大きさで呟く。思い出したかのように眠気がやってきて、なんなんだよ本当に、と思いながら、ゆっくりと意識を手放した。 重いまぶたを押し上げて、布団の中からちら、と時計に目をやる。1時。もうすっかり辺りは明るくて、長い睡眠を貪ったせいか日差しが鋭く感じた。のそのそと立ち上がるが予想以上に肌寒く、布団へと逆戻り。もう12月だ。俺は寒いのが得意ではない。 しばらく布団にもぐって暖を取っていると、少し寒い空気を感じた。布団から顔を出せばカラ松が立っていて、まだ寝てたのかと言った。「うるさい、ほっといて」「でも、」「お前には関係ないだろうが」 ほっとけよ。カラ松はまさに傷ついたような顔をして、ごめん、といった。そういうところが苛つくんだよ。ちっ、と一つ舌打ちをすれば、カラ松はわかりやすく身体をびくつかせ、部屋を出て行った。 俺はカラ松にそういう想いを寄せている。でもカラ松はそんなことに気づくはずもなく、兄であろうとするが故に、俺を優しく突きはなすのだ。お前は優しい自慢の弟だ、お前を信じているぞ。そういって俺のことを突きはなし続けた。カラ松は多分、当たり前のことをしていただけなのだと思う。狂っていたのは、自分のほうなのだ。 俺はどんどん悪態をつくようになり、そんなことを言われる度にひどくなっていった。突きはなされる度に、自分が否定されているような気持ちになった。 お前を信じているぞ、って何を信じているんだ。弟の俺か。生憎俺はお前のことを兄だと思っていない、もう思えないんだ。 自分が見ている世界を拒絶されているような気分で、ふざけんなと言いたくなった。なんて身勝手な考えなんだろう。こんな風になってしまったのは多分他でもない自分のせいだとわかっているのに。 自分の想いに気づいてからは、あいつにとっての特別になろうと必死になった。カラ松に否定されているような気がしてから出るようになった悪態が、今となっては、それのおかげでちょっとは特別に近づいているんじゃないかと錯覚する。あいつの特別になれるなら、怯えられてもどうってことなかった。おかしいことはわかっていたけれど、そうでも思わないと、耐えきれる気がしなかった。 中学生の時、仲良くしていた猫が、ある日突然交通事故でぽっくり死んでしまったことがあった。俺は悲しくてたまらなくて、冷たくなってしまった猫を抱いて、ぼろぼろと大粒の涙をこぼして泣いていた。そのときたまたま一緒にカラ松がいて、そっと俺の頭を撫でてくれた。 お墓をつくってあげよう、そして花を供えて手をあわせるんだ。ちゃんと迷わず天国へ行けるように。 まだこんなに拗れることなく、カラ松の前でも素直でいれた俺はこくんと頷いて、近くの公園の外れに猫を埋め、少ないお小遣いで買った一輪の花を供えた。結局最後までカラ松は自分に付き合ってくれて、一緒になって手をあわせていた。「ちゃんと天国にいけたかな」「いけたさ。一松にちゃんと埋めてもらって、花も供えてもらって、手もあわせてもらえたんだ」 あの猫は幸せ者だ。そういってカラ松は俺の頭を撫でて笑った。「…もし、カラ松兄さんが死んだら、たくさんお花、お供えしてあげる」 今思えば、目の前にいる人間の死んだ後について話すなんて失礼にもほどがあると思わなくもないけれど、そんなことを考える頭もないほどには子供だったし、同じようにカラ松も子供だった。「ありがとう、そのときはよろしく頼むな、一松」 そういって子供ながらに兄の顔をして、わしゃわしゃと少し乱雑に俺の頭を撫でた。 まだそのときの俺はこんなに禍々しい思いは抱いていなくて、ただ純粋に、嬉しかったのだと思う。 少し懐かしいことを思い出す。こんなものはもう遠い記憶で、未だに自分が覚えていることに少し驚いた。多分カラ松自身は覚えていないだろう。きっとそうだ、と思い込む。今あんな風にされたら、ひどいことを言って傷つけてしまう気がした。俺はどうしようもないクズで、もう後戻りができない場所まできてしまっている。 昨日と同じようにすり、と頭をこすりつけられる。なに、と言えば、ぎゅっと服を掴むもんだから、なんとなくびくっとしたのが伝わってきた。起きてたのか、と言う声。そう、今日こそは起きていると決めていたのだ。「ごめんって、なに」「一松、」「昨日言ってたじゃん」 昨日起きていたことをいってやれば、カラ松はまたぎゅっと服をにぎり、ごめん、といった。正直昨日に始まった話ではないけれど。なによりそういうことが聞きたいわけじゃない。苛立ちが湧き上がってきて、そうじゃねえよと言って振り向こうとした。その瞬間強い力で抑えられて、みないで、と背中からくぐもった声が聞こえてくる。力強さとは反してか細い声で、少し声が湿っぽく、泣いてるのだろうと思った。 ごめんなさい。ダメな兄貴で、ごめんなさい。 そう言いながらグスグスと鼻をすすり、泣きつかれたのかなんなのか、またもや寝息が聞こえてくる。はあ、と溜息をついた。勝手に泣きついて、勝手に疲れて先に寝るとか、どんだけ自己中なわけ。もう一つ溜息をついて、俺は瞼を下ろした。 あのあと大して眠れず8時に起きて、階下へいけばカラ松がいた。おはよう、という姿はいつも通りだった。その様子にひどく腹立たしくなり、俺はたまらず首元を掴む。こいつが涙目になっているのも構いやしない。「お前さ、なんなの」「い、いちまつ、」「夜中にああやってすがりついて、なにがしたいの」 ふざけんな、こっちの気も知らないで。怯えながらも、不思議そうにこちらをみるカラ松は、多分何もわかっていないのだと思う。「ごめん、ごめんないちまつ」「…もういい」 そういってカラ松のことをはなしてやると、尻もちをついて俺を見上げる目は少し涙ぐんでいて、今にも零れ落ちそうになっていた。いつもならば、あれが俺だけに向けられていると思ったら、たまらない気持ちになる。でも今はそういう感情よりも、自分に大してごめんと言い続けるカラ松が腹立たしくして仕方がなかった。なあ、俺の質問に答えろよ、カラ松。 そこそこ時間が経ってみんなが起きてきたかと思えば、何か用事があるらしく、支度をしてはさっさと家を出て行った。カラ松も同様で、先ほどのことなどなかったかのように、いつもの調子で居もしないカラ松ガールとやらに会いに行った。そのとき、十四松が家を出る前に俺に声をかけてきたのだ。 一松兄さん、どっか痛いの? 勘のいいやつ、なんて心のなかでひとりごちる。「どこも痛くないけど」「そっかー!大丈夫かッスか!」 いってきマッスル!と元気よく外へ飛び出していく十四松の背中を見送った、その時の自分の深い溜息を思い出す。俺はあのとき、あいつみたいにちゃんといつも通りでいられたのだろうか? 一松、と呼びかける声に振り返る。カラ松だ。いつもの青いパーカーにジーンズといった、格好つけていない、元来のカラ松がそこには立っていた。 今日は不思議と苛立ちもなくて、むしろ、素直になれるんじゃないかと思えた。カラ松、とこちらからも呼びかける。きょとんとして、少し首をかしげたカラ松に、ちょっとだけ、胸がきゅっとする。 「俺、カラ松のことが、好きなんだ」 キラキラと辺りが輝いた気がして、美しいってこういうことなのかも、と頭の片隅で考える。目の前のカラ松はふにゃりと笑って、俺も好き、といった。 ああ、なんて綺麗なんだ。綺麗すぎて目眩がする。 その瞬間、これは現実ではない、と悟った。現実にしてはあんまりにも綺麗すぎたのだ、何もかも。こんなところでしか、あいつに素直になれない。目の前のカラ松は依然として、笑顔をたたえてそこに立っている。 目をあければ、目の前には天井が広がっていた。ああ、やっぱり。 夜、同じようにまたカラ松は同じように、俺を呼んだ。その瞬間にカラ松の方を向いて、なに、というと、え、とかあ、とか、変な声をあげて、しまいにはなんで、とこぼした。カラ松の目元は少し濡れはじめている。カラ松の手を引いて、周りを起こさないように、静かに布団を這い出て階下へ降りる。居間に入ってカラ松と対峙すれば、不安そうな目でこちらを見ていた。「なんなの」「へ、」「もう一度聞くけど、あんたは何がしたいんだ」 カラ松がまたごめんというものだから、いらいらして、いいかげんにしろと首元を掴む。「だって、言ったら、き、きらわれる」「は?」「きらわれるだろうから、こっそりずっと、ああやって謝って、」「ちょっと、カラ松」 掴んでいた首元をはなしてやる。絶対に間違えない、と思いながらゆっくり聞いた。嫌われるって、どういうこと。ちゃんといって。するとまたぼろぼろと泣き出して、しかし、とうとう、わかったとカラ松は言った。「俺は、一松のことが、好きなんだ」「ずっとずっと、前から」「こんなこと、気持ち悪いって、絶対嫌われるっておもったから、いえなくて」 苦しかった。一松に申し訳なくなって、ずっと謝ってたんだ。ごめんな、一松。 気づいたら、泣きながら吐露するカラ松を抱きしめていて、そのままそっと頭を撫でる。何もかもぎこちなかったけれど、これでいいと思った。「ほんとに、馬鹿だな」 お互いに。ずっと暗がりだった場所に、光が差し込んだような気がした。 あの日から数日経った。 隣に座っているカラ松をみていたら、こちらの視線に気づいて、にへらと笑う。釣られて自分も笑った。俺たちは、晴れてそういう関係になっていた。「そういえば、昔一松の友達の猫のお墓をつくってあげたことがあったな」「覚えてたの」 忘れてるかと思ってた。正直に言えば、ふふ、とカラ松は笑う。「俺が死んだら花をいっぱい供えてくれるんだろう?」 そんなことをいうから、死んだ後のことなんかより今のことを考えるほうが先決でしょ、と言ってやる。少しばかりの照れ隠しだ、これくらいは許して欲しい。一瞬虚につかれたような顔をして、そうだな、とカラ松は笑った。 花はいっぱい供えてやるつもりだけど、まだ死んだ後のことは考えなくてもいいだろう。 俺は、少し懐かしいようで新鮮な暖かいこのむず痒さを大切にできると、素直に思える気がしている。今はそれだけで、十分なのだ。12月 12, 2015
ぼんやりとしたあまり働いてない頭で、ああカラ松か、なんて考えて、無視を決め込んだ。俺が寝ているのだろうと勘違いしたのかなんなのか、カラ松は一息つく。すると、すり、と背中がこすりつけられる感覚がした。まただ。ここ最近、カラ松は俺が寝ているとわかったと思えば、こうして俺の背中に顔をこすりつけてくる。初めてそんなことをされてから2週間経った。また少しこすりつけられる感覚がして、背筋がぞわりとする。
「一松、ごめんな」
これもお決まりだった。背中をこすりつけては、俺にごめんと一言謝るのだ。それで満足するのか、すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。一連の動作で許しを請い、もういっそ一つの祈りのような、まるで宗教行為のようだとさえ思えた。もう2週間だ。今日こそ一言いってやろうと思ったけれど、タイミングを逃してしまい、くそ、と自分にしか聞こえない大きさで呟く。思い出したかのように眠気がやってきて、なんなんだよ本当に、と思いながら、ゆっくりと意識を手放した。
重いまぶたを押し上げて、布団の中からちら、と時計に目をやる。1時。もうすっかり辺りは明るくて、長い睡眠を貪ったせいか日差しが鋭く感じた。のそのそと立ち上がるが予想以上に肌寒く、布団へと逆戻り。もう12月だ。俺は寒いのが得意ではない。
しばらく布団にもぐって暖を取っていると、少し寒い空気を感じた。布団から顔を出せばカラ松が立っていて、まだ寝てたのかと言った。
「うるさい、ほっといて」
「でも、」
「お前には関係ないだろうが」
ほっとけよ。カラ松はまさに傷ついたような顔をして、ごめん、といった。そういうところが苛つくんだよ。ちっ、と一つ舌打ちをすれば、カラ松はわかりやすく身体をびくつかせ、部屋を出て行った。
俺はカラ松にそういう想いを寄せている。でもカラ松はそんなことに気づくはずもなく、兄であろうとするが故に、俺を優しく突きはなすのだ。お前は優しい自慢の弟だ、お前を信じているぞ。そういって俺のことを突きはなし続けた。カラ松は多分、当たり前のことをしていただけなのだと思う。狂っていたのは、自分のほうなのだ。
俺はどんどん悪態をつくようになり、そんなことを言われる度にひどくなっていった。突きはなされる度に、自分が否定されているような気持ちになった。
お前を信じているぞ、って何を信じているんだ。弟の俺か。生憎俺はお前のことを兄だと思っていない、もう思えないんだ。
自分が見ている世界を拒絶されているような気分で、ふざけんなと言いたくなった。なんて身勝手な考えなんだろう。こんな風になってしまったのは多分他でもない自分のせいだとわかっているのに。
自分の想いに気づいてからは、あいつにとっての特別になろうと必死になった。カラ松に否定されているような気がしてから出るようになった悪態が、今となっては、それのおかげでちょっとは特別に近づいているんじゃないかと錯覚する。あいつの特別になれるなら、怯えられてもどうってことなかった。おかしいことはわかっていたけれど、そうでも思わないと、耐えきれる気がしなかった。
中学生の時、仲良くしていた猫が、ある日突然交通事故でぽっくり死んでしまったことがあった。俺は悲しくてたまらなくて、冷たくなってしまった猫を抱いて、ぼろぼろと大粒の涙をこぼして泣いていた。そのときたまたま一緒にカラ松がいて、そっと俺の頭を撫でてくれた。
お墓をつくってあげよう、そして花を供えて手をあわせるんだ。ちゃんと迷わず天国へ行けるように。
まだこんなに拗れることなく、カラ松の前でも素直でいれた俺はこくんと頷いて、近くの公園の外れに猫を埋め、少ないお小遣いで買った一輪の花を供えた。結局最後までカラ松は自分に付き合ってくれて、一緒になって手をあわせていた。
「ちゃんと天国にいけたかな」
「いけたさ。一松にちゃんと埋めてもらって、花も供えてもらって、手もあわせてもらえたんだ」
あの猫は幸せ者だ。そういってカラ松は俺の頭を撫でて笑った。
「…もし、カラ松兄さんが死んだら、たくさんお花、お供えしてあげる」
今思えば、目の前にいる人間の死んだ後について話すなんて失礼にもほどがあると思わなくもないけれど、そんなことを考える頭もないほどには子供だったし、同じようにカラ松も子供だった。
「ありがとう、そのときはよろしく頼むな、一松」
そういって子供ながらに兄の顔をして、わしゃわしゃと少し乱雑に俺の頭を撫でた。
まだそのときの俺はこんなに禍々しい思いは抱いていなくて、ただ純粋に、嬉しかったのだと思う。
少し懐かしいことを思い出す。こんなものはもう遠い記憶で、未だに自分が覚えていることに少し驚いた。多分カラ松自身は覚えていないだろう。きっとそうだ、と思い込む。今あんな風にされたら、ひどいことを言って傷つけてしまう気がした。俺はどうしようもないクズで、もう後戻りができない場所まできてしまっている。
昨日と同じようにすり、と頭をこすりつけられる。なに、と言えば、ぎゅっと服を掴むもんだから、なんとなくびくっとしたのが伝わってきた。起きてたのか、と言う声。そう、今日こそは起きていると決めていたのだ。
「ごめんって、なに」
「一松、」
「昨日言ってたじゃん」
昨日起きていたことをいってやれば、カラ松はまたぎゅっと服をにぎり、ごめん、といった。正直昨日に始まった話ではないけれど。なによりそういうことが聞きたいわけじゃない。苛立ちが湧き上がってきて、そうじゃねえよと言って振り向こうとした。その瞬間強い力で抑えられて、みないで、と背中からくぐもった声が聞こえてくる。力強さとは反してか細い声で、少し声が湿っぽく、泣いてるのだろうと思った。
ごめんなさい。ダメな兄貴で、ごめんなさい。
そう言いながらグスグスと鼻をすすり、泣きつかれたのかなんなのか、またもや寝息が聞こえてくる。はあ、と溜息をついた。勝手に泣きついて、勝手に疲れて先に寝るとか、どんだけ自己中なわけ。もう一つ溜息をついて、俺は瞼を下ろした。
あのあと大して眠れず8時に起きて、階下へいけばカラ松がいた。おはよう、という姿はいつも通りだった。その様子にひどく腹立たしくなり、俺はたまらず首元を掴む。こいつが涙目になっているのも構いやしない。
「お前さ、なんなの」
「い、いちまつ、」
「夜中にああやってすがりついて、なにがしたいの」
ふざけんな、こっちの気も知らないで。怯えながらも、不思議そうにこちらをみるカラ松は、多分何もわかっていないのだと思う。
「ごめん、ごめんないちまつ」
「…もういい」
そういってカラ松のことをはなしてやると、尻もちをついて俺を見上げる目は少し涙ぐんでいて、今にも零れ落ちそうになっていた。いつもならば、あれが俺だけに向けられていると思ったら、たまらない気持ちになる。でも今はそういう感情よりも、自分に大してごめんと言い続けるカラ松が腹立たしくして仕方がなかった。なあ、俺の質問に答えろよ、カラ松。
そこそこ時間が経ってみんなが起きてきたかと思えば、何か用事があるらしく、支度をしてはさっさと家を出て行った。カラ松も同様で、先ほどのことなどなかったかのように、いつもの調子で居もしないカラ松ガールとやらに会いに行った。そのとき、十四松が家を出る前に俺に声をかけてきたのだ。
一松兄さん、どっか痛いの?
勘のいいやつ、なんて心のなかでひとりごちる。
「どこも痛くないけど」
「そっかー!大丈夫かッスか!」
いってきマッスル!と元気よく外へ飛び出していく十四松の背中を見送った、その時の自分の深い溜息を思い出す。俺はあのとき、あいつみたいにちゃんといつも通りでいられたのだろうか?
一松、と呼びかける声に振り返る。カラ松だ。いつもの青いパーカーにジーンズといった、格好つけていない、元来のカラ松がそこには立っていた。
今日は不思議と苛立ちもなくて、むしろ、素直になれるんじゃないかと思えた。カラ松、とこちらからも呼びかける。きょとんとして、少し首をかしげたカラ松に、ちょっとだけ、胸がきゅっとする。
「俺、カラ松のことが、好きなんだ」
キラキラと辺りが輝いた気がして、美しいってこういうことなのかも、と頭の片隅で考える。目の前のカラ松はふにゃりと笑って、俺も好き、といった。
ああ、なんて綺麗なんだ。綺麗すぎて目眩がする。
その瞬間、これは現実ではない、と悟った。現実にしてはあんまりにも綺麗すぎたのだ、何もかも。こんなところでしか、あいつに素直になれない。目の前のカラ松は依然として、笑顔をたたえてそこに立っている。
目をあければ、目の前には天井が広がっていた。ああ、やっぱり。
夜、同じようにまたカラ松は同じように、俺を呼んだ。その瞬間にカラ松の方を向いて、なに、というと、え、とかあ、とか、変な声をあげて、しまいにはなんで、とこぼした。カラ松の目元は少し濡れはじめている。カラ松の手を引いて、周りを起こさないように、静かに布団を這い出て階下へ降りる。居間に入ってカラ松と対峙すれば、不安そうな目でこちらを見ていた。
「なんなの」
「へ、」
「もう一度聞くけど、あんたは何がしたいんだ」
カラ松がまたごめんというものだから、いらいらして、いいかげんにしろと首元を掴む。
「だって、言ったら、き、きらわれる」
「は?」
「きらわれるだろうから、こっそりずっと、ああやって謝って、」
「ちょっと、カラ松」
掴んでいた首元をはなしてやる。絶対に間違えない、と思いながらゆっくり聞いた。嫌われるって、どういうこと。ちゃんといって。するとまたぼろぼろと泣き出して、しかし、とうとう、わかったとカラ松は言った。
「俺は、一松のことが、好きなんだ」
「ずっとずっと、前から」
「こんなこと、気持ち悪いって、絶対嫌われるっておもったから、いえなくて」
苦しかった。一松に申し訳なくなって、ずっと謝ってたんだ。ごめんな、一松。
気づいたら、泣きながら吐露するカラ松を抱きしめていて、そのままそっと頭を撫でる。何もかもぎこちなかったけれど、これでいいと思った。
「ほんとに、馬鹿だな」
お互いに。ずっと暗がりだった場所に、光が差し込んだような気がした。
あの日から数日経った。
隣に座っているカラ松をみていたら、こちらの視線に気づいて、にへらと笑う。釣られて自分も笑った。俺たちは、晴れてそういう関係になっていた。
「そういえば、昔一松の友達の猫のお墓をつくってあげたことがあったな」
「覚えてたの」
忘れてるかと思ってた。正直に言えば、ふふ、とカラ松は笑う。
「俺が死んだら花をいっぱい供えてくれるんだろう?」
そんなことをいうから、死んだ後のことなんかより今のことを考えるほうが先決でしょ、と言ってやる。少しばかりの照れ隠しだ、これくらいは許して欲しい。一瞬虚につかれたような顔をして、そうだな、とカラ松は笑った。
花はいっぱい供えてやるつもりだけど、まだ死んだ後のことは考えなくてもいいだろう。
俺は、少し懐かしいようで新鮮な暖かいこのむず痒さを大切にできると、素直に思える気がしている。今はそれだけで、十分なのだ。
12月 12, 2015