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No.13, No.12, No.11, No.10, No.9, No.8, No.77件]

炉心融解


 結局リクの部屋にきてしまった。お風呂溜めたけど、入る?と聞かれて断ることもできずに笑ってうんと答える。身体を洗い、しばらくぼうとシャワーを浴び続けたあとに体温程度になった湯船に浸かる。浴室の音がやけに耳に響いて、寒くもないのに身震いした。
 ゼミの飲み会に参加して、その帰りにリクに無性に会いたくなった。俺が在籍しているゼミは10人にも満たない人数で構成されている。教授含め男しかいない飲み会も基本的には研究内容について話すことが多く、ゆるやかに趣味や大学生活の話へとうつるような雰囲気も含めて俺はこの会合を気に入っていた。今日も帰りの足取りは軽かったし、リクに会いたいと思うのも理由がなく本当に気分が良かっただけだったが、気分の良さとは対照的に会話がはずんだ勢いでアルコールをいつもより入れていたのはわかっていたから、意識はあるにしても酔っているという自覚があった。温度感の差を想像して熱が引き始める。今は会うべきじゃないな、とぼんやり思った。電車の中でまぶたが完全に落ちかけていたときリクから連絡がきて、おぼろげな視界の中で返事を打つ。リクの「よかったら会えない?」という言葉に対して一瞬指が止まったものの、わかっていたはずなのに断らなかったことを一駅過ぎたあたりで後悔した。リクが住んでいる街の最寄り駅で降り、雲行きが怪しくなってきた頭で見知った道を歩き、リクが出迎えた前でそんなに飲んでないんだと言って部屋に入った。先程の気分の良さなんかどこにもなく、俺は妙に緊張していて、普段どおりに見えるかをずっと気にしていた。
 わけもなく泣きたくなってきて、ぽたりと水滴が湯面に落ちて波紋を作る。なんで泣いてるんだろうと思っていると、水を入れる間もなくアルコールを入れていたことを思い出した。自宅に満たない程度によく見知った浴室であることが中途半端に自分の不安を煽っていた。そのとき、ヒロト?起きてる?と扉の向こうから声がしたので、起きてるよ、と返す。開けてもいいか聞いてきたのでそのまま了承したら、カラカラと音を立てながら扉が開いてリクが顔を出す。よかったあ、心配しちゃったよ。安堵の顔を向けるリクにごめんと笑いかける。そろそろ出たら、冷やしちゃうよと言って洗面所を出たいつもどおりのリクを見送った。ここが浴室でよかった。お湯か汗か涙なのかわからなくなるから。
 もしこのあと浴室を出て正直に思っていたことを話したら、リクはおそらくいつもの人懐こさで俺のことを受け入れ、仮に酔いから生まれたこの静かな不安を埋めるように抱きしめたり、近くにいてと言ったとしても咎めることはしないだろう。珍しいね、とかなんとか、そういうことを言って大人しく抱きしめられているし、言われるがままそばにいてくれる。布団にだって多分入れてくれて、心臓の音を子守唄にすることだって容易いのが目に浮かんだ。だけど今の状態が本当の自分なのか、にわかに信じがたかった。いや、間違いなく俺ではあるけれど、ありのままなのか曖昧なままでリクの前に立ちたくなかった。態度も、言葉も、俺のものなのかわからないのはいやだった。弱さを見せたくないだけかもしれない。本当は、考えたことがまぼろしで拒否されるのが嫌なだけかもしれない。リクのことになるといつまで経っても足がすくんで仕方がなかった。リクにきらわれたくない。
 思考が混濁してきた。浴室はすっかり冷え切り、俺はぬるま湯を通り越した液体から身体を浮かすのが億劫になっていた。ああ、もう、やっぱり来るんじゃなかった。

1月 5, 2025

ギブス


 きみは許してくれないかもしれない。だけど、俺にはなくてきみにはあるものを知っている。証明なんかいらないほどの光がそこにあるでしょう。そんなこと言ったら、多分、きみはやめてよっていうんだろうけど。
 俺が燃え尽きてもきみがいると言ったら案の定、やめてよ、と苦く悲しい顔をする。自分がいるからという理由で俺が一歩引くことに強い抵抗があるらしい。リクは律儀に俺との間に深い溝を作り、たとえ話でさえも俺が犠牲を払うことを嫌がった。そんなかんたんに消えやしないことをわかっていても。結局、今回の答えも悪手だった。
 リクにはいつもどおりに振る舞ってほしいのに、俺にはそれがとてつもなく難しいことのように思えた。どうしたらみんなみたいに話してくれるのかわからなくて、でもリクが嫌がるような強引な手段は使いたくない。リクが俺に向ける笑顔には、1ブロック分のスペースがある。互いに傷つかないための予防線。踏み込みを避けようとしているのは明白だった。
 リクの手のひらは強く握られている。データの向こうのきみはどれだけの力を込めているんだろう。リク、と声をかける。きみのことを信じているから、これだけ賭けるって言えるんだけど。俺の隣には立ちたくない?と言い終わる前に、そんなことないとすかさず返ってきた。リクは、ただ楽しくやりたいだけなんだ、とこぼした。ヒロトの楽しいを壊したくない。光の奥にある丸みを帯びたそれは、多分リクそのものだった。

1月 1, 2025

帳が下りたら


 きみの俺を呼ぶ声が眩しくて痛くて、羨ましくて、だけどそれがきみらしくてすきだった。触れたつもりのきみの手はなにも感じないのに、熱を帯びた気がして気恥ずかしい。ヒロト?と呼びかけるきみの声に、なんでもないって誤魔化してしまう。なんでもないことが特別みたいになるのがいやだった。だって、俺たちようやく友達になれたのに。
 まぶたを閉じる。暗がりの中にきみを探してみる。まぶたの裏のきみにごめんをいっても、どんな顔をしているか全然わからなかった。ひとりきりだ。でもそれでよかった。夜においておくから、拾わないでね。きみには見せてあげないから。
 いつかの入れ物みたいにガムテープで留めて、そのまま火にくべて燃やせたらよかった。でも結局、それもできずにまた眺めてしまうのかもしれないから。バックアップなんていらない。なんでもいいから、はやく息の根を止めてください。

12月 24, 2024

プライマリ

※リクヒロ+ユキ

 会ったことないんだよね。なんでもない風に言う親友の言葉に思わず固まって、そうなんだ、と慎重に、できるだけいつも通りに返した。カザミくん、思ったより事態は深刻かもしれないよ。この前会ったときに耳打ちされた「ヒロトくんのこと」を思い出す。
 リっくんはなんでもないみたいに振る舞うのが結構上手い。いや、僕が鈍感すぎるだけなのかな?GBNを始めた頃、帰り道に話すリっくんに悩みからすぐ立ち直ったのだと勘違いしていた。実はそうじゃなかったんだけどね。僕はあの頃に比べて、少しはリっくんのことわかるようになったつもり。リっくんがヒロトくんの話をするとき、少しだけ声が固くなるのを知っている。ほんの少しだよ。声にほんの少しだけ緊張が乗っていて、それをずっと不思議に思っていた。あんなに仲がいいのに!ちょっと悔しいような気もするけど、元気のないリっくんを見るのはもっといやだった。
 なにがあったかわからないけど、ヒロトくんなら大丈夫だと思うよ。少しだけ背中を押すみたいな言葉を出してみる。わからなくても、知ったようなことをいう。それくらいしてもいいよね。一瞬だけ驚いたリっくんは塗装が剥げたガンプラみたいで、それが困るんだけどね、と笑っていた。

12月 17, 2024

トロイメライ


 抱きしめてよ。そう言えばおそるおそる俺の背中に手をまわすから、寄せるみたいにわずかばかりの力を込めた。頑なに正面から触れないきみに、少しだけさみしいと思ってる。見えない白線に息がつまって、はきだすことさえおぼつかない。
 きみの代わりに正面から、ぎこちない動きで抱きしめる。こんなのきみだけだよ。少なくとも、今は。一緒じゃなくても生きていけるのを知っていて、あっけなさに抗うのに必死になる。俺のすきがきみをすり抜けてるんじゃないかって、確かめるみたいに身体を合わせてみる。ひび割れた硝子できみが傷つくのかもしれなかった。だけど大丈夫っていいたかったから。俺はリクの大好きに入らない?なんて言ったら、ずるいって言うのかな。これはきみのやさしさで、俺はひどいやつだから。十万ルクスの容赦のなさできみに灼かれてしまいたい。やわく触れるきみの手がもどかしい。諦めないで踏み込んでよ。
 言いたいことを飲み込んでしまう。しばらくこうしていて。それだけ言って、きみの肩に顔をうずめる。うん、という声が静かな部屋に落ちて消えた。

12月 11, 2024

シンクロできない


 きみのことを理解したいけれど、絶対に、理解できるはずのない部分が存在していて、その部分を埋めるみたいに自分の中にある引き出しを全部あけて、思いつく限りのかなしみを混ぜていく。流れ込んでくるのは俺の錯覚でしかないんだけど、ヒロトのなにか言いたそうな顔を忘れたわけではなかったから。こんなやり方できみのこと、わかるはずないのにね。
 きみの手を俺の首元に添えたとする。形を確かめるみたいに喉仏をなぞったら、きっとほんのわずかに身じろぎしたくなる。絞めてもいいよって言ったらきみはどんな顔をするんだろう。きみの言葉を踏みにじるようなことを考える。わからないままきみのことを抱きしめて、埋まらないからきみの形になじめない。中身を取り出して入れ替えても、俺はきみの代わりになれないし、キスをしたって溶け合わない。謝らないでください。きみの言葉を反芻する。
 きみの痛みを注がれたら、きみにもっと近づける?掬えた星を抱きしめる。ぽつぽつと話すきみの、伏せられたまぶたを見る。結局、曖昧に笑うことしかできなかった。

12月 03, 2024

彗星


ぎこちない言葉が、態度が、行動が、
少しずつ噛み合わなくなる歯車が、
隣にいる時間が減っていくことが、
思わず顔を合わせるのをやめることが、
もはや同じ時間を共有しないことが、
少しずつ自分を息苦しくさせる、
はやく謝らないとと思うたびに時間が過ぎていって、
フレンド一覧のログイン履歴で足跡を辿る、
無情なオフラインの文字に避けられてるかもって思ってしまって、
伝える手段がひどく限られていることに腹が立って、
でもどの手段をとっても全部嘘に見えてしまって、
文章も声もダイバールックも全部張りぼてで、
がんじがらめになって、かんたんなごめんの一言さえも言えない。

こんなにきみのことを気にかけている自分に気づいて、
もう深い溝を作りたくないって思っている自分のこともわかったから、
必死なんだよ、全然、余裕なんてないから、
きみにこれ以上壁を作られたくなかったから、
どうやったら上手く言えるのかそればかり考えていて、
この前教えてもらったばかりの「ミカミ・リク」のメッセージ画面を見つめて、
何度も打ち直しては消してを繰り返す入力画面は微動だにしなくて、
いやになって瞼を下ろした暗闇が落ち着かなくて、
ベッドの中で蹲ってごめんをいう練習をする、
俺が「ミカミ・リク」の知り合いだったら違ったのかなってありもしないことを考える、

素数を数える、
意識が遠のく、
青い眼差しを夢にみる、
声にならない声でさよならをいう。
 
重たい腕を動かした先の、見慣れたレンガの建物、簡潔なメッセージの、
家の扉を開けて走る、先を越されている、
一か八かのきみの行動に思わず笑ってしまう、
きみのそういうところが風みたいに吹き抜けていく、
空から陽の光が落ちている、
割れたかけらが弧を描いて燃えていく、
昨日のごめんを渡しに行くから、だから、そこで待っていて。

11月 27, 2024