結局リクの部屋にきてしまった。お風呂溜めたけど、入る?と聞かれて断ることもできずに笑ってうんと答える。身体を洗い、しばらくぼうとシャワーを浴び続けたあとに体温程度になった湯船に浸かる。浴室の音がやけに耳に響いて、寒くもないのに身震いした。
ゼミの飲み会に参加して、その帰りにリクに無性に会いたくなった。俺が在籍しているゼミは10人にも満たない人数で構成されている。教授含め男しかいない飲み会も基本的には研究内容について話すことが多く、ゆるやかに趣味や大学生活の話へとうつるような雰囲気も含めて俺はこの会合を気に入っていた。今日も帰りの足取りは軽かったし、リクに会いたいと思うのも理由がなく本当に気分が良かっただけだったが、気分の良さとは対照的に会話がはずんだ勢いでアルコールをいつもより入れていたのはわかっていたから、意識はあるにしても酔っているという自覚があった。温度感の差を想像して熱が引き始める。今は会うべきじゃないな、とぼんやり思った。電車の中でまぶたが完全に落ちかけていたときリクから連絡がきて、おぼろげな視界の中で返事を打つ。リクの「よかったら会えない?」という言葉に対して一瞬指が止まったものの、わかっていたはずなのに断らなかったことを一駅過ぎたあたりで後悔した。リクが住んでいる街の最寄り駅で降り、雲行きが怪しくなってきた頭で見知った道を歩き、リクが出迎えた前でそんなに飲んでないんだと言って部屋に入った。先程の気分の良さなんかどこにもなく、俺は妙に緊張していて、普段どおりに見えるかをずっと気にしていた。
わけもなく泣きたくなってきて、ぽたりと水滴が湯面に落ちて波紋を作る。なんで泣いてるんだろうと思っていると、水を入れる間もなくアルコールを入れていたことを思い出した。自宅に満たない程度によく見知った浴室であることが中途半端に自分の不安を煽っていた。そのとき、ヒロト?起きてる?と扉の向こうから声がしたので、起きてるよ、と返す。開けてもいいか聞いてきたのでそのまま了承したら、カラカラと音を立てながら扉が開いてリクが顔を出す。よかったあ、心配しちゃったよ。安堵の顔を向けるリクにごめんと笑いかける。そろそろ出たら、冷やしちゃうよと言って洗面所を出たいつもどおりのリクを見送った。ここが浴室でよかった。お湯か汗か涙なのかわからなくなるから。
もしこのあと浴室を出て正直に思っていたことを話したら、リクはおそらくいつもの人懐こさで俺のことを受け入れ、仮に酔いから生まれたこの静かな不安を埋めるように抱きしめたり、近くにいてと言ったとしても咎めることはしないだろう。珍しいね、とかなんとか、そういうことを言って大人しく抱きしめられているし、言われるがままそばにいてくれる。布団にだって多分入れてくれて、心臓の音を子守唄にすることだって容易いのが目に浮かんだ。だけど今の状態が本当の自分なのか、にわかに信じがたかった。いや、間違いなく俺ではあるけれど、ありのままなのか曖昧なままでリクの前に立ちたくなかった。態度も、言葉も、俺のものなのかわからないのはいやだった。弱さを見せたくないだけかもしれない。本当は、考えたことがまぼろしで拒否されるのが嫌なだけかもしれない。リクのことになるといつまで経っても足がすくんで仕方がなかった。リクにきらわれたくない。
思考が混濁してきた。浴室はすっかり冷え切り、俺はぬるま湯を通り越した液体から身体を浮かすのが億劫になっていた。ああ、もう、やっぱり来るんじゃなかった。
1月 5, 2025